きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

晩秋

2012-11-18 20:42:42 | 近場の異邦人
3号のおはかまいりに行った。

久しぶりに出会った方、2名。
一人は一昨年に退職された上司の方。車のナンバーを何故か覚えていて、顔を上げたら「目が合った」。退職の歳に愛媛マラソンに初挑戦され、少しだけ練習のお手伝いをさせていただいたことがある。スポーツができる方で問題なく完走されたが、そのバイタリティには頭が下がったことを覚えている。儂の実家のもう少し先にご実家があると聞いていたので、そちらに行った帰りだろうか。
タイミングが合ってなかったら顔を合わしていないのだからつくづく縁とかそういうのはあるのかなと思ったり。
もう一人は前の職場で関わりのあった方、以前早朝に走っているのをお見かけしたが、その時せっかく話しかけてくださったのに、こちらが思い出せなかった(その数分後思い出したのだが)。
結局それ以来数回会っても気まずい感じですれ違い、ああ失敗したなあとその都度思っていた。
この日はたまたま「呼吸が合った」のか、立ち止まり、覚えています以前は失礼いたしました怪我しないように頑張りましょうと声を掛け合うことができた。
すごくほっとした。

国道の峠道は2ヶ月ぶりぐらいか(先月は別の道から行ったから)。
川は昨日の雨で珍しく囂々と水を下流に渡している。

山の色も綺麗である。


それでも山道は綺麗な景色ばかりではない。
晩秋のこの頃、野生動物の死骸が目に付く。今日は狸。そしてイノシシのだろうか脚が一本。
昨シーズンの冬は、鳥の亡骸が春先までそのままになっていた。歩道の上である。少しずつ少しずつ小さくなってはいたが。

寿命が来る頃、動物は自ら山に帰ると言うことを聞いたことがある。
山に帰り、土に還る。
狸も、猿も、猪も、鼬も、鼬も。
どうしても直視できず、目をそらしながら、それでもアスファルトに横たわる狸は何を思っていたのだろうかと考えてみる。

一昨日は、商店街の真ん中で猫が横たわっていた。轢かれた跡があった。
そして、昨日は、ホームセンターの迷い犬のポスターを目にした。
張り出されている犬の年齢、14歳、15歳、16歳。
彼(彼女?)達は何か思っていたのだろうか、何を思っていたのだろうかと考えてみる。

車に轢かれることが自然の摂理に反するとはいえ、野生の生き物ですら山に帰ることがかなわない場合もある。

我が家の様子を見る。1号は、少し状態が良くなっているようである。3号はまたゲフゲフ言い始めている(また風邪ひいたんかお前)。摂理を棚上げして身内の状態に一喜一憂する自分がいる。

もう四捨五入で50歳という年齢になり、終着点を意識しながら生きているつもりではいた。でも、身内のことは意識できないで日々を送る現実を考えると、自分のこともいつも覚悟ができているようで、実はそうではないのかもしれないと思ったりする。

もうすぐという頃、向かい風になった。おはかに着く。3号に、久しぶりと声をかける。

おはかを出るときに、電話をする。珍しく出た。
元気かうんこっちは元気おかげさまでいや用はないけど誕生日だから電話だけ。
二人ともまだ健在である。

山道の途中、小さいばあちゃんが路肩を掃いていた。
としをとるのはすてきなことですそうじゃないですか、と中島みゆきの傾斜。
かなしいきおくのかずばかりほうわのりょうよりふえたならわすれるよりほかないじゃありませんか。

いつの頃からか、人間はそれぐらい生きるようになっているのだなと。
それでも生きるけど。走るけど、ねえ図々しく。