きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

モノに執着しない人は格好良い

2013-12-29 22:12:48 | 徒然に2010-2013
洗面所の床と和室の片付け、そして洗面所の戸棚と和室の押し入れの片付けをする。
というより、モノを全部出して入れ替えただけ。はじめからそうする予定は全くなく、捨てるか置いとくかでいろいろ考えていくと、辻褄が合わなくなってきたので。つまり、これを置いておく理由とこれを捨てる理由に整合性がないのである。特に家人のモノはとりあえず置いておかなければならない(片付けしていない方が悪いのだから、捨てても良さそうなもんだが、実際に実行して後々大変だったことがある)。すると全部捨てられないので全部置いとくことにする。
モノを捨てない片付けは片付けではない。半日費やした割には収穫の少ない作業だった。

今回に限っては、であるが、自分のモノもあまり捨てきれなかった。

いわゆる「墓まで」持って行くことなどできないのは分かっているが、処分できないままに30年前購入のブツを見る。

多分、チューニングメーターなくても大体は合わせられる、はず(思い込みの可能性大だが)。

こちらは、職場でやっていたソフトボール。小さい手に合わせて購入したら、大きいソフトボールはキャッチしにくかった。いつもはファーストミットを借りていたので余り使っていない。でもね、なのである。

例えば1年使わなければ捨てるという原則を当てはめた場合、9割ぐらいモノは無くなる。で、無くなってから「あ、あれ」みたいに困ったり公開する記憶は結構強いが、実のところ、困らないことの方が遙かに多いはずで。
格好良い人は、モノに執着しない。モノに執着しまくる儂は、なかなかそういう境地に辿りつかない。
モノを整理すると精神的に落ち着いてる、というのはその境地にバーチャルにたどり着いている(着こうとしている)現れなのかもしれないと思う。思い切って捨てるモノはまだまだ少なくて、本当にあっちに動かしたりこっちに動かしたりしているだけ。対処療法的で、根本的な解決にはなっていない。
もう一つ思うのは、捨てることが怖いのではなく、忘れることが怖いということはいえる。
全部デジカメで写真に撮ってから、捨てるということで解決できそうな気もする。所有願望は、モノを持つと言うより、モノを持っている、あるいは持っていた自分の姿を見ていたいからではないのか(そういう意味で、このブログに寄せる期待は結構大きい)。

ただどちらの理由にしても、モノに執着しないモノを持っていた自分に執着しない人は、見ていて羨ましい。何と云っても軽い。いつでもどこでも行けますよ。何の柵(しがらみ)もありませんよって。

それでも昔に比べると自分のモノはだいぶん減った。少しずつ、少しずつ。本は何故か捨てられんがな。本を借りて読める人は大したもんだと思う。
少しずつ、減らしていけたらいいが、なあと思う。減らしていこうと思う。