きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

パターン化の功罪

2014-05-20 21:29:25 | 真面目な練習
休日で云えば、昨年あたりから土曜日仕事、日曜日半完全オフのパターンが定着しつつある。
ご近所ランとか、少し遠出して20キロから30キロぐらいドカ走りすることが少なくなった。走るのが嫌いになったわけではないが、仕事を休みの日にドカッと片付けることとか、所謂家のこととか、普段の日にペース走入れるようになったことで休日は軽めにするとか逆により練習っぽいペース走するとなで、以前のようにジョグでだらだらと走る機会が少なくなったのは確かだろう(思いっきり遠出は時々している)。
パターン化、といえば、平日の方が色濃く出る。

3年ぐらい前に家から出勤ランするパターンにハメてから距離は確実に増えたし、雨風関係なく走るようになって、少々のことには動じなくなった(と思う)。
単に繰り返すだけというのでもなく、単調というのでもなく、落ち着かないとかいうのもある。続けることで何が得られたかというと、何より安心感、かもしれない。通勤時に走ること自体、すごく楽しいとか面白いとは思わないが。走っているという事実と積み重ねているというわずかばかりの自信と。逆にいえば、それだけだろう。

故にパターンが変わると落ち着くまでに時間がかかる。
昨年の10月から始まった新パターンの生活リズムも、ようやく体が馴染んできたのが年明けぐらい。何より家のごぞこぞの用事にかける時間が短くなった。
ちなみに、昨日今日は今となっては珍しく家から職場までのラン。朝飯抜きの16キロはさすがにきついし嫌になる。もちろん総ジョグで。
5~8キロぐらいなら、飯抜いた方が体がいい具合になるというのは最近分かった。
生活のパターンを変更せざるを得なくなり試行錯誤した結果、朝飯喰う前のランを設定して時間を確保した。これが結果オーライ。
一旦パターンにはまると楽なのだが、発展性は無くなる。安定して距離を練習できるが、飽きてくる。こういう日のように、いくつかパターン持っていればいいのだろうが。

パターンが変わることでずっと気がつかなかったことに気がついたりもする。否、思い出すということか。

この空の色。

以前80キロ離れた職場に単車で通勤していた時は、当たり前のようによく見ていた。
朝の通勤ランにしても、西向きにばかり走っていたから、だんだんと変わる空の色を楽しみながら走ることはなかった。

それが、10月からの朝食前の自宅周辺ラン+それまでの半分の距離の出勤ランに変更したことで思わぬ収穫になった。
2月から一時的に自宅からの通勤ランを再開し、そして4月。またこれまでのパターンの発展形を模索して練習を続けている。

いずれも家の事情を優先した結果である。
走ることに関しては結果オーライである。
走ることに関しては我ながらしつこいと思う。
ただ、止める理由休む理由は、いくつでもすぐそこにあるので。
しつこく走ってみようかと思っているのはそのこともある。

犬たちも四月からのパターンに少し慣れたか。

ご飯の時間も、パターン化してやった方がいいのかもしれないが。

パターンにはめすぎて融通が利かなくなると、大人の都合で遅れるときとかに対応できなくて逆にかわいそうになるとヨメさん。
なるほど。
 
後は、麦。
今日も帰りの電車待ちで呑みたくて仕方がなかったが、シュワシュワの炭酸で我慢。まだ週の真ん中来ていない。
平日は呑まない、というパターンは崩さないようにしないと。パターンと云うよりルールか。休日など凄い量呑んでいるからな。これが毎日になってしまうと、人間ぐずぐずになるから。