きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

節目に ~ 2014年から2015年へ

2015-03-11 21:31:00 | 真面目な練習
もう年が変わるというより年度が変わる頃で、タイミングずれずれですが、以前書きためていたもの。記したのは丁度2ヶ月前の1月辺りの休日か。以下本文。

鈍足親父さんが、月ごとに記録をまとめられているのを拝見し、分かりやすくていいなあと。
でも、月ごとにまとめるほど印象に残ることがないので結局大雑把に。
収穫、ということでは。
これはもう分かりやすい。
愛媛マラソンで、久々のサブ3.5を達成して、アスリート枠ゲットしたのが唯一の収穫。
後は、2年ぶり参戦予定だった神戸24耐が台風でDNSになり、その翌月には事故に遭って生死を彷徨ったし(これ大袈裟でなくそんな感じ)。
酒の量は増えるし、何だかなあという感じながら、やはり年相応に走ると云うこと、生きる(大仰ではあるが)と云うことについては考える機会があった、というより考えざるを得なかった。
収穫、である。
あ、大事な収穫がもう一つ。3月のクラブ駅伝は参加できなかったが、5時間リレーマラソンに職場の関係者で参加することができた。これはよかった。
面白い、という訳ではないと思う。でも、淡々と襷を繋ぐという、そのことに集中して5時間一生懸命になるというのは、面白い。
走ると云うことに関して別の楽しみ方ができた。職場の方々には本当に感謝である。儂などは、放っておくとこういうランには縁がない人なので、有り難いというか何というか。

1年後の空が蒼いとは限らん、のよねえと、酔った頭で空を見ている。
まずは、愛媛マラソン。左目奥の「プレート」が重いとか、言い訳せんように走らんと。

ということで以上。
まあ、何というか、まだこの頃は余裕があったか。
この後また事故に遭ったし(本当)、身辺のごたごたは酷くなったし。
いろいろな出来事に対して、収穫という前向きなとらえ方、さて、今はできるだろうか。
正直もう少し経たんと分からん。
今日は、震災の日。
空は青い。

gooより1年前の記事が届く。
悲しむと云うこと、待つと云うこと
Yahooニュースで「ビートたけしが震災直後に語った『悲しみの本質と被害の重み』」を目にする。曰く「しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑える」...

家族とか、そういうのをつくづく考える日だと思う。
正直もう少し経たんと分からんけど待つことにする。