SMAPの名前を初めて聞いたのは、大学生の時だった。 当時、ウチの大学に非常勤講師に来ていた先生(小学校を退職された方らしい)の誘いで、その先生の別荘に同級生と一緒に泊まりにいったことがある。別荘と言っても山小屋のロッジみたいな感じで(それはそれで良かったのだが)、恐らく教員の団体か何かでシェアしていたのだろう。名前を「こくばん山荘」と言い、菅平高原にあった。その先生の講義は非常勤ながら人気が高く、先生の呼び掛けに結構な人が集まると思っていたら、同じ講義を受けていた50名余りのうち、集まったのは5人だけで拍子抜けしたのを覚えている。
儂は、単車で現地に入り、他の4人はばらばらでJRで入った。先生も夜遅くにならないと来ないという話で、団体行動が苦手だった儂にとっては、このいい加減さが気持ちよかったりした。 1泊したのか2泊したのか忘れたが、夜遅くというより朝方までしゃべったりゲームしたりしてまあ、いい思い出になった。手元には高原の原っぱでハンカチ落としをしている写真も残っている。良くも悪くも本当に健全な時代というか、健全な面子が集まったものだと思う。そういやあ、女子で参加したのは東北出身の3人(青森、岩手、山形)と男子は埼玉のM君、儂という妙な組み合わせの合宿だった(少人数でラッキーだったか)。この5人で集まるなどということは後にも先にもなかった。普段はそう親しいわけでもなかったのに。
で、SMAPがいつ出てくるのかというと、買い出しか何かにみんなで行った帰り道、その菅平高原のとある田んぼ(じゃなくて恐らく畑だろうが)の畦道を歩きながら、青森訛りの残るKさんがグループの名前を言ったという、それだけのこと。ただあれ以来、SMAP(ATOKはきちんと変換するもんなあ)の名前を聞くと、その菅平の道と草原と自転車にくくりつけた食材と暗い山荘の中のトランプ等々といいろんな光景がフラッシュバックされる訳で。 で、その名前を聞いたときに、現在某公立大学の准教授をしているM君が、先日キムタクのラジオ番組の名称存続で出た話とまんまのコメントを発して、単なるそれだけの話で終わっていたはずなのだが。 ここまで大きな存在になるとは思わなかった。
昨日の放送は見ていなかったが、ソフトバンクのCMが良かったというので、ネットで見てみる。 良かった。BGMも儂イチオシの歌だから余計に。 でも、生で見なくて良かった。
「オリジナル・スマイル」でも菅平のあの思い出でもなく、おーとさんのアップと台詞。
1号を想い出した。やられた。
莫迦。
おとーさん、遠くを見る目も1号にそっくり。
生で見ていたら、絶対に泣いていた。
莫迦。
儂は、単車で現地に入り、他の4人はばらばらでJRで入った。先生も夜遅くにならないと来ないという話で、団体行動が苦手だった儂にとっては、このいい加減さが気持ちよかったりした。 1泊したのか2泊したのか忘れたが、夜遅くというより朝方までしゃべったりゲームしたりしてまあ、いい思い出になった。手元には高原の原っぱでハンカチ落としをしている写真も残っている。良くも悪くも本当に健全な時代というか、健全な面子が集まったものだと思う。そういやあ、女子で参加したのは東北出身の3人(青森、岩手、山形)と男子は埼玉のM君、儂という妙な組み合わせの合宿だった(少人数でラッキーだったか)。この5人で集まるなどということは後にも先にもなかった。普段はそう親しいわけでもなかったのに。
で、SMAPがいつ出てくるのかというと、買い出しか何かにみんなで行った帰り道、その菅平高原のとある田んぼ(じゃなくて恐らく畑だろうが)の畦道を歩きながら、青森訛りの残るKさんがグループの名前を言ったという、それだけのこと。ただあれ以来、SMAP(ATOKはきちんと変換するもんなあ)の名前を聞くと、その菅平の道と草原と自転車にくくりつけた食材と暗い山荘の中のトランプ等々といいろんな光景がフラッシュバックされる訳で。 で、その名前を聞いたときに、現在某公立大学の准教授をしているM君が、先日キムタクのラジオ番組の名称存続で出た話とまんまのコメントを発して、単なるそれだけの話で終わっていたはずなのだが。 ここまで大きな存在になるとは思わなかった。
昨日の放送は見ていなかったが、ソフトバンクのCMが良かったというので、ネットで見てみる。 良かった。BGMも儂イチオシの歌だから余計に。 でも、生で見なくて良かった。
「オリジナル・スマイル」でも菅平のあの思い出でもなく、おーとさんのアップと台詞。
1号を想い出した。やられた。
莫迦。
おとーさん、遠くを見る目も1号にそっくり。
生で見ていたら、絶対に泣いていた。
莫迦。