衣替えに伴い、お手入れに出すものや自分で洗うものなどを分別。
ついでに箪笥の肥やしになっているきものを、断捨離、というか「生前整理」しました。
そのなかで、最初に始末したのは、「年相応」ということで購入したり、買わされたりしたものです。
「年不相応」の間違いじゃないの、と思われるかもしれませんが、いいえ、「年相応のきもの」です。
とてもいいあられ小紋、友人に譲っていただいたものですが、着る機会がないまま数年。
薄紫の、 紫苑というネーミングと違ってまったく似合わない地味な羽織。
きもの着始めの頃、「年にふさわしい落着きある色だわ」と購入したきものなどなど~~数枚。
きもの着始めの頃は、さまざまな掟、決まりごとに縛られておりました。
若い頃、母と一緒に呉服屋に行き「その年でそのきものは~~」と言われたり、年を重ねれば重ねたで「年齢にふさわしい落着きを」なんて、雑誌の特集を気にしたりして~~。
でも私にとってきものは遊び。
仕事で着用することもたまにありますが、そのときでも、やはり遊び。
にもかかわらず、着ていて楽しくないきものは、もう着ている時間はないと、思い至った次第です。
年齢で着るものを決めるより、好きと似合うかどうかで決めるほうがずっといい。
こんな当たり前のこと、気づいてはいたものの、手放すには抵抗、未練、もったいない、があったのです。
考えてみれば、似合わない、楽しくないのに、持っているからと着るほうが「その時間がもったいない」
それでも派手過ぎると処分したものも数点。
これはやはり着始めた頃のオレンジ系。
2008年頃?
「明るいほうが似合うよ」と言ってくださる方もいるのですが、着ていて落ち着かないものもNG。
きものは回数を重ねて着るほど、自由に着られるようになると思います。
初期の頃は、人の視線が「まあ、あの人、着付けが変」、あるいは「まあ、あんなきもの着て」と言っているような気がして、おっかなびっくり。
「あれはいけない」「これはいけない」との決まり事も、単に自分で自分を縛っていただけなのかもしれません。
50代後半、残りの人生がどのくらいあるのかわかりませんが、場所の掟、空気もわずかながらわかるようになったので、その感覚に合わせ、好きなものをチョイス。
それが「その人のセンス」、なのでは?
センスこそを磨きたいと思います。
年齢にふさわしいきものがあるのではない。
その人にふさわしいきものがあるのでは~~?
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