ひとり紫苑・プチプラ快適な日々を工夫

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和の喪服着ますか。喪服と向田邦子。

2018-03-14 18:18:09 | シニア

 

このところ、葬儀の席に出ることが多くなりました。

知人その人というより親や仕事関係。

訃報を聞いてお悔やみを述べたあと、

思い迷うの

きもの、着て行こうかしら?


でも、結局は洋服にしてしまう。

それというのも、

喪服と聞いて頭に浮かぶのは、

向田邦子さんのエッセイと小説。


「思い出トランプ」と「父の詫び状」

ほかの向田本はあらかた処分したけど、この二冊だけは。

 

エッセイでは、喪服を新調した途端

雨靴を買った子供が

雨ふりを待つように

「早く着てみたい」との気持ちがうずく。

それは人の不幸を待つ気持ちに通じる~~。

というもの。

 

「~~死を嘆き悲しむ気持ちと美容院の鏡の前で

きれいする動作とは、

私のなかでは一つに溶け合わない」

「葬儀の席できれいにセットされた髪をみると、

胸の隅に冷えるものがある」

こんなエッセイを読んだときの私は20代後半。

このときの向田さんは48歳。


「そうだよね」と頷いた私も

もう60代半ば。

考えが変わってきた~~。

もう向田さんの年をはるかに超えてしまったのね、ワタシ。

 

こちらは市川崑監督の「妻と女のあいだ」のワンシーン。

父親の法要のシーン。

 

もうひとつ、

「かわうそ」という女の怖い一面を描いた小説。

「~~厚子は新調の喪服を着て、

涙をこぼすという形ではしゃいでいた。

ほおっておくと、泣きながら、

笑いだしそうな気がして宅次は、

おだつな、とたしなめるところだった」

おだつ」とは、調子づくといった意味。

かわうそは食べるためではなく、獲物を捕る

楽しみだけでたくさんの魚を殺す。

「火事も葬式も、夫の病気も厚子にとっては

体の騒ぐお祭りなのである」

自分の女房が「かわうそ」だと知る~~。


先のエッセイを小説にするとこうなるのですね。

 

美しいキモノ春号」の岩下尚史氏のエッセイは

喪服。

「慎む上にもなお謹慎しての喪服といいながら、

かえって粋に感じられなくもない」と。

 

 

自分の両親の葬儀には和の喪服を着ましたが、

このときはまだきものを着る楽しみを知らず、

着せられているという気持ちでした。

いま、きものを身にまとう楽しみを

知ってしまうと、迷う~~。


 

迷いながら、結局洋服を選んでしまうのは、

着物を着ることで、自分のなかに「おだつ」部分が

動き出すのを恐れる~。

しかし今では、

「鏡の前に立ち、着付けに集中しながら、

悲しみを一時でも忘れることができる」

あるいは「悲しみの中でも、

気持ちは悲しみ一色に染めなくても いいのでは

と思うようになりました。


それでも雨や寒さを理由に

結局は洋服を選んでしまうのは、

向田刷り込みが大きいから??

というよりも現実的には

しきたり間違っているかも、など

処々にメンドウが先立つから~~。


この気持ちも、

向田さんが新調の喪服をある会に出ることで

ケリをつけたように、

何かの折に着用してケリをつけましょうか。


こちらは「月刊アレコレ」のきくちいまさんの

「喪服」に関するエッセイ。実用的。


でも、やはり喪服のきものは、

「慎む上にもなお謹慎してといいながら」

やはり美しい~~。

知人の喪の席、もの喪服、着ますか?

「あ・うんの富司純子さんと森田空美先生」


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コメント (16)
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