五月になったのですね。
むしろここ数日は朝晩の気温が低めでストーブを焚いたりしています。
今年の灯油を残してどうする処分に良い機会だ、という捉え方もありまして・・・。
窓際から庭を見てみたら、蕾だったバラが開き、黄色の大待宵草が二輪朝露の中で咲いていました。
これから夏本番まで入れ替わりながら咲き続けることでしょう。
バラの花をみると「名が何じゃ、バラは他の名前で呼んでも良い香りがする」という古代の哲学者の言葉がすぐ思い出されます。
「本当の顔は独りの時の顔」という川柳で新聞に掲載されたことがありましたが、確かに他人に見せる顔は自覚なしに見せるための仕様にしてしまっている自分に気づきます。
草花を観ながらそんなことを考えていたら、ふと別の考えが浮かんできました。
「本当の自分は他人が決めている」という一句です。
自身を見つめる目は以外と節穴で、、他人の目こそが鋭く見抜いているのかも知れませんし、或いはまた不本意ながら誤解され続けてあがく自分もいるのです。
どちらも社会的動物として生きる人間の宿命でしょうかね。