カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

種子島旅行(最終日)

2019-05-25 09:29:22 | 旅行記
 種子島3日目(最後の日)は、主として南種子町を巡る。

 ホテルを出て最南端の門倉岬をめざす。

 
 (七色坂)

 最高地点が280m前後の平坦な島だから、ちょっと高い場所に登ると見晴らしがよい。

 光線の具合などによって、景色が様々に変わるというところからの命名らしい。

 
 (門倉岬から屋久島を望む)

 鉄砲伝来の碑が建つ門倉岬も50年ぶりに辺りは様変わりをしていた。

 展望所からは西の方向に屋久島が見える。

 こちらは九州最高峰の宮之浦岳があり、島全体が山の様相を呈している。

 雨が多く、いつも頂上付近は雲に覆われている屋久島だが、この日は久々に全景がみえた。

 
 (宇宙科学技術館)

 鉄砲伝来とは、当時としての最先端技術が到来したことになるが、宇宙開発技術もまた時代の最先端である。

 日本本土から遙か南の島で、鉄砲とロケットと時代は違うものの先進技術が花開くというのも不思議なものである。

 
 (歴代宇宙飛行士の写真の横で)

 宇宙飛行士の写真が並ぶ横に、宇宙服だけの写真があって、カメラと斜め方向から相対する位置に立つと、自前の俄宇宙飛行士が出来上がる仕組みだが、さすがに拙い顔を披露するには忍びず、目つぶしの刑に処してみた。

 
 (日本一の大ソテツ)

 これは50年前から日本一の大ソテツとなっていたが、今と比べて特に大きくなったという印象はない。

 レンタカーを返して、種子島空港で出発までの時間を過ごす。

 待合室に、かつて中種子空港と言っていた頃の歴代の飛行機模型が展示されていた。

 
 (ヘロン機)

 YS-11だのビーチクラフトだのが展示される中で、一際懐かしかったのは16人乗りの「ヘロン」機。

 エンジンが4発あって、大型のように見えて実は小さい。

 当時の離島便は、東亜航空と国内航空が多かったが、この南九州は概ね東亜航空でやがて航空業界の再編で、東亜国内航空と社名を替えた。

 今回の種子島旅行で一番懐かしかったのは、千倉の岩屋と東亜航空のヘロン機だった。

 
 (JACの帰りの飛行機)

 帰りの日本エアーコミューター便は、丁度ヘロン機の倍くらいの乗客を運ぶ小さな双発のプロペラ機で、ささやかな気流の乱れにも敏感に反応して揺れるという、とても懐かしくも親しみのある飛行機だった。

 今回の種子島旅行は、相方の「そう言えば昔種子島に連れて行くって言ってたよね」という一言から始まった。

 人間は、都合良く約束を忘れ、また都合良く昔の約束でも思い出してしまう便利な生き物なのだ。

 さて、まだ約束事項は残っていそうな感じだが、体力と気力があれば思い出すことにしよう。

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