カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

子供達の元気な声が・・・。

2013-01-12 10:31:22 | 日常あれこれ

川沿いの散歩道には沢山の野鳥が棲息しています。

冬場は渡り鳥も結構数を増しています。

Dscn0292

鴨は盛んに水中に頭だけを突っ込んで餌を採っていました。

Dscn0290

Dscn0291

Dscn0296

冬の日射しの、つかの間の暖かさの中で太公望のように魚が目の前にやってくるのを気長に待っている、お馴染みのアオサギや白鷺ものんびりした風情でした。

そんな中で子供達の声で、一際賑やかな一角がありました。

多分幼稚園か保育園なのでしょうね。

Dscn0294

木に群がる雀のように、子供達が鈴なり状態で木登りをして遊んでいました。

小さな枝の先まで5~6人の子供が登っていて、特に女の子が元気がいいのです。

大人の監視はなくて、遠くで若い女性が子供の靴を水道の付近で洗っていました。

な~んか久し振りに見る懐かしい風景のような不思議な気分になってついカメラを向けてしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本の自慢を少こ~しばかり・・

2013-01-10 15:49:30 | 日常あれこれ

私の現在住んでいる熊本を少し紹介しましよう。

Cimg2425

お馴染みの加藤清正が築城して400年、その後細川家が手を加えてきた熊本城です。

奥に見えるのが天守閣で手前のものは宇土櫓です。櫓ですが普通のお城の天守閣より大きいと思います。武者返しの石垣は他を圧倒します。

さて清正は築城と共に河川改修や新田開発など土木技術にも優れていました。

Dscn0276

東を望めば阿蘇山が噴煙をあげています、手前の白煙はごく最近蒸気を噴き出したもので、火山は生きている証です。

この阿蘇の五岳や回りの外輪山に降り注いだ雨は伏流水となって、阿蘇の周辺に沢山の湧水となって湧き出しており熊本平野をうるおす白川の主要な水源となっています。

ただし、中流域の台地は浸食された河底よりかなり高く成っているため、平地のように水に恵まれていません。

そこで加登清正は上流に幾つかの堰を造って川の左右に人工の溝を掘るという灌漑工事を施しました。

平らな所は平堀も可能なのですが、山沿いはトンネルを掘るしかなく、その堀りかたが独特なのです。

Dscn0275

中国の砂漠地帯や、アフガニスタンのカレーズと呼ばれる高山の雪解け水を砂漠地帯の地下を掘って灌漑する方法と似たトンネル工法が使われています。

Dscn0274

ただし、ストレートに丸い穴を掘るのではなく、高低差や渦を巻くような障害物をわざわざ造って流れる水が渦を巻き攪拌され、よどみを無くして土砂などが溝の底に堆積しないような工夫がなされています。

牛の鼻に穴を開けたものに似ているというので「鼻ぐり井手」と呼ばれています。

こうした井手の工法や川の流れ方をコントロールする水制の技術に長けた清正の遺構は、今でも現役でその効力を発揮し続けており、コンクリートの近代的な治水事業よりも自然の力を上手く取り入れた清正の方がむしろ優れていたのだと納得させられます。

なぜなら、今のコンクリート構造物が400年後にその機能を発揮し続けているとはとても思えないからです。

半世紀程度しか経っていない、トンネルの天井が落ちるのがその良例でしょう。

エネルギー源として再生可能なものを求める現在の流れも、自然の成り行きのような気がします。

年明け早々ちょっと得意になってみましたが、ここで一句。

「現状は仮説未来は七変化」

可能性に賭けてみましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日遅れの初詣で

2013-01-08 10:31:10 | 日常あれこれ

例年ですと新年が明けたら直ぐに、屠蘇だのお吸い物だのを頂いた後、徒歩で近くの神社に詣で、次に一眠りして昼過ぎ頃にゴソゴソと全員が起き出し雑煮などを食べた後、主要な三社に詣でるというのがパターン化された我が家の行動でした。

しかし今年は子供達がそれぞれの生活の場所に帰った後夫婦で初詣ということになりました。

Dscn0287

さすがに正月も七日が過ぎると参拝も少なくなっていましたが、実質仕事始めの会社もあるようで、大勢のそれらしい一行がガヤガヤと集団でお参りをしていました。

去年の破魔矢をお返しして新しいものを頂いてまいりました。

配偶者のおみくじは「末吉」であったとかで、まあ後で良いことが少しはあると言うことで良しとしようと納得していました。

そう言えば、何年か前の初詣でで娘が「凶」を引いて更に次の神社で「凶」を引いてがっくりしていたのを思い出しました。

私はもう何年も前からおみくじを引いたことがありません。

私はおみくじとジェットコスターは好きではないのです。

人為的に設定された楽しみや悲しみなどわざわざ求めるつもりはない、等と妻や子供達の前で強がっているのですが、本当は結構な運命論者ではあります。自然の法則に従い、創造の神の思し召しには従わざるを得ないと思っています。

今月二十日の戌の日には腹帯をもって全員で安産祈願でお祓いを受ける予定です。

神や仏を、なにやら例年以上に意識させられてしまった新春の幕開けでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母校の今

2013-01-06 11:45:34 | 日常あれこれ

正月に所用のため出かけたついでに、もう廃校になった母校(小・中学校)がある所まで脚を伸ばしてみました。

昭和の合併で二つの自治体に分かれた後も、学校組合という組織が作られて分割されないまま運営されて来たのですが、とうとう廃校になってかなりの年数が経ちました。

Dscn0277

段差があって進入できない校門も門柱だけが残っていました。

Dscn0280

校庭は近傍のお年寄りのグラウンドゴルフ場として活用されているらしく、手入れはされていました。

Dscn0279

以前は校庭から一段高いところに校舎がたっていて、階段も三カ所あったのですが車での進入のために専用のとりつけ道路の坂道があり、それがそのまま残っていたのは嬉しかったですね。

小さなトラックに乗って通勤する男性の先生がいつもこの坂を登れずに「お~い、押してくれ~!」と叫ぶと毎日数名の男子生徒で群がって後押しをしたことが懐かしく思い出されます。

その先生も昨年お亡くなりになりました。

Dscn0278

かつての校舎のあった場所の一部に小さな記念館のような建物があり、休日で閉館していましたが玄関から中を覗くと、当地出身の不知火光右衛門(横綱土俵入りの不知火型)の銅像が建っていました。

Dscn0281

少し離れた場所に位置する小学校の跡は、廃校のあと縫製工場として使われたこともあって、比較的原型を留めてはいましたが門柱には「売地」の看板が立っており、中学校と違って活用の予定はないような雰囲気でした。

私も今はまったく違った土地に住み生活をしていて、かつての学校の活用について意見を言う立場にもありませんが、子供達の声が聞こえないというのは寂しいものですね。

日本の人口が今よりもずっと少ないあの頃、沢山の子供達が此所に集いその声がこの辺り一帯に響いていたのです。

若かったのですね。あの頃の日本は・・・・。

街も田舎も・・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望の年にしたいですね!

2013-01-04 10:36:22 | 日常あれこれ

Cimg2848

新しい2013年が明けて、もう4日が過ぎました。

年末から帰省していた長男は仕事に帰って行きました。

妊娠初期の長女は、日常生活の注意点などベテランの配偶者からノウハウを伝授して貰うべく、まだ実家に残留しています。

と言いつつも、実態は上げ膳据え膳の状態で本人だけがいたくご満悦なのですが・・・。

平凡なことが平凡に過ぎていってくれること、今年の最大の我が家の願いなのです。

毎年親子で三社参りと称して、近所の神社の他に、私達が結婚式を挙げて以来、子供達の七五三もお参りしている神社と、それに他に大きな神社を例年回っていました。

しかし今年は寒さや人混みを避けるため一家で詣でることを中止しました。

石段が少なく、かつ比較的混雑しない時期と合致する妊娠五ヶ月めの岩田帯をまく戌の日に安産祈願でお参りすることにしました。

昨年まで酒を勧めてもさほどの量も飲んでいなかった息子が、まあ今年は飲むわ飲むわ驚いてしまいました。

「この酒は飲みやすいしなんぼ飲んでも酔わないのが不思議だなあ」などと言いながら、気がついたら底の方にかすかに液体が残っている状態でした。

酔わなくても量を考えろと久々の教育的指導を施してはおきましたが、調子に乗りやすいタイプなのでその指導効果の程ははなはだ疑問の残るところです。

新しい年を迎へ、それらしい目標も定めてみましたので、久々真面目に取り組んでみようかなどと思っております。

勿論その目標は私の胸の内に有るだけなので誰も知りません。

目標の設定もその達成度の判定もすべて私の胸の内でなされるものなのです。

以前から、ただ夢として胸に抱いていたものをハッキリ目標と定めてみたことは事実です。

年明け初めの更新祝いに、一句いきましょうか。

「人生は一度もちろん死を含め」

以外に盛り上がっている2013年の年明けでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする