私の現在住んでいる熊本を少し紹介しましよう。
お馴染みの加藤清正が築城して400年、その後細川家が手を加えてきた熊本城です。
奥に見えるのが天守閣で手前のものは宇土櫓です。櫓ですが普通のお城の天守閣より大きいと思います。武者返しの石垣は他を圧倒します。
さて清正は築城と共に河川改修や新田開発など土木技術にも優れていました。
東を望めば阿蘇山が噴煙をあげています、手前の白煙はごく最近蒸気を噴き出したもので、火山は生きている証です。
この阿蘇の五岳や回りの外輪山に降り注いだ雨は伏流水となって、阿蘇の周辺に沢山の湧水となって湧き出しており熊本平野をうるおす白川の主要な水源となっています。
ただし、中流域の台地は浸食された河底よりかなり高く成っているため、平地のように水に恵まれていません。
そこで加登清正は上流に幾つかの堰を造って川の左右に人工の溝を掘るという灌漑工事を施しました。
平らな所は平堀も可能なのですが、山沿いはトンネルを掘るしかなく、その堀りかたが独特なのです。
中国の砂漠地帯や、アフガニスタンのカレーズと呼ばれる高山の雪解け水を砂漠地帯の地下を掘って灌漑する方法と似たトンネル工法が使われています。
ただし、ストレートに丸い穴を掘るのではなく、高低差や渦を巻くような障害物をわざわざ造って流れる水が渦を巻き攪拌され、よどみを無くして土砂などが溝の底に堆積しないような工夫がなされています。
牛の鼻に穴を開けたものに似ているというので「鼻ぐり井手」と呼ばれています。
こうした井手の工法や川の流れ方をコントロールする水制の技術に長けた清正の遺構は、今でも現役でその効力を発揮し続けており、コンクリートの近代的な治水事業よりも自然の力を上手く取り入れた清正の方がむしろ優れていたのだと納得させられます。
なぜなら、今のコンクリート構造物が400年後にその機能を発揮し続けているとはとても思えないからです。
半世紀程度しか経っていない、トンネルの天井が落ちるのがその良例でしょう。
エネルギー源として再生可能なものを求める現在の流れも、自然の成り行きのような気がします。
年明け早々ちょっと得意になってみましたが、ここで一句。
「現状は仮説未来は七変化」
可能性に賭けてみましょう。