カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

新・新3本の矢

2016-10-17 09:29:37 | 人声人語
 近頃耳にたこが出来るほど聞かされていた3本の矢の話を聞かない。

 3本の矢で検索すると「官邸のホームページ」が出てきて、アベノミクス「3本の矢」というのが表示される。

 ことわり書きがあって、このページは過去の特集ページを保存しているものであり、掲載情報は更新されておりませんのでご注意下さい。とあった。

 注意しろとの断り書き通り、恐る恐る先へ進むと「旧3本の矢」とあった。

 旧と書かれているので、この部分だけは更新されているのだろう。

 第一の矢:「大胆な金融政策」・・・・・・・・市場のお金を増やしてデフレ脱却
 第二の矢:「機動的な財政政策」・・・・・・・政府支出でスタートダッシュ
 第三の矢:「民間投資を喚起する成長戦略」・・規制緩和でビジネスを自由に

  でもって、持続的な経済成長(富の拡大)成長率3%・・・とあった。

 三本の矢は確かに放たれたと思っている、が的に当たったかについてはよく判らない。

 岩盤規制に穴を開け、円高・高い法人税率を下げ、TPPの妥結の遅れを解消したのが成果らしいが。

 小さいことは言うなと次いで「新三本の矢」が放たれた・・・・らしい。

(6本の矢)

 第4本の矢:「希望を生み出す強い経済」・・・GDP600兆円の実現
 第5本の矢:「夢を紡く子育て支援」・・・・・希望出生率1.8の実現
 第6本の矢:「安心に繋がる社会保障」・・・・介護離職ゼロの実現

 これでだけ矢を放てば、大当たり~ってな威勢のいい声が大向こうから掛かっても良さそうなものだが・・・。

 「大向こう」とは、入場料は安く舞台からは一番遠い座席のことで、そこに居る観客は芝居に関してはちゃんと判っているうるさ方のことだ。

 野球ならさしずめ安い外野席、サッカーならゴールポスト裏のサポーター席だ。

 国民なら庶民のことで、元々格差社会の上位にあぐらをかいている人々のことではない。

 もっとも、この「新3本の矢」も囃し立てたメディアにも最近取り上げられることはなくなった。

 オリンピックで忙しくなったのだ。

 決まる話が決まらず、既得権益で儲ける筈の人が横やりを入れられて困っている様子にも見える。

 で我が町は何で困っているかというと・・・。

 
 (地震)
 
 (噴火)
 
 (住宅)
 
 (復旧)
 
 (避難)
 などなど、6ヶ月前に終わった災害では無くて、今なお復興のスタートラインに立つための準備にも入れなくて困っているのだ。

 「新・新7本目以降の矢」には、「災害列島安心保障の実現」を一本追加でお願いしたい。

 「重心が揺れて危うい日本丸」

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益城の秋

2016-10-15 09:26:14 | 熊本地震
 ウオーキングは夕食の後が通常だが時々は日中に歩くこともある。

 夏場は夕食後が涼しいしエネルギーの消費調整もいいと思っていたからだ。

 ところが秋も段々深まると夕食後は暗くなるし、第一いつもの河川堤防沿いは地震の影響で凸凹になっているので足元が不安定でよろしくない。

 最近は新しく町の北側に出来た町道の広い歩道を歩くことが多い。

 なにげなく畑の脇に植えられたモミジの紅葉が美しかったので撮してみた。

 
 (モミジ)

 
 (野菜畑)
 これまでのウオーキングコースの川沿いは田んぼが多かったが、町道沿いは畑が多く野菜や牧草類が目立つ。

 仮設住宅の半分以上はこれまで人が住んでいなかった、この町道沿いの畑地に建設されていている。

 やがて町の人口の比重が少しずつ北に移動する予感がする。

 
 (たわわに実った柿)

 半分放置されたような状態でどちらかというと実をつけ過ぎた感じもするが柿はやっぱり秋を代表する果物だ。

 益城町には最近改良された大きな柿があって、温室管理されながらとても高値で取引されるものもある。

 この他農業の分野ではベビーリーフの工場生産を手がけシェア-NO1に成長している会社もある。

 南側の水田地帯に対して、北側の大地はスイカや葡萄それに野菜などの畑作が盛んな地域である。

 今回の地震で水田と北側大地に挟まれた地域が大きな被害をうけた。

 ほぼ90%の町民がその地域にすんでいる。

 農業の将来と、そこの町に住む住民の安全な住まいの確保など重大な問題が横たわる。

 昨日で、震災から半年が過ぎたことになる。

 2000人以上の人達が、地震の後町外に生活の場所を移して生活している。

 復旧・復興が終わるのに何度秋を迎えればいいのかまだわからない。 

 
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菜園の隣の家の解体がとても速い

2016-10-13 11:56:08 | 家庭菜園
 菜園を見に行った相方がピーマンとネギを収穫して帰ってきた。

 「畑の東隣のお家は解体してるよ」と言う。

 外から眺める限りは屋根付きのテラス以外は傷んだようには見えなかったのだが・・・。

 
 (ピーマンとネギ)

 ネギは年がら年中放置したままで、ピーマンも春に植えたもので夏場に収穫した後そのままにしていたら、秋になって花が咲き再び実が成ったもの。

 大したモンだ植物は、などと言いつつ3~4日ぶりに菜園の様子を見に出かけた。

 
 (花畑状態の菜園と家屋の解体現場)

 菜園の入口付近はあらゆる秋の花が咲き乱れているのは例年のことだが、重機がウンウンうなっていて既に解体は終わろうとしてたのには驚いた。

 我が家の東隣の家の解体は概ね2週間を要したのに・・・。

 素材毎に分別しながら解体・集積・搬出をくり返すので時間がかかったし、埃防止のシート設置や散水をしながらの作業なので相当に手際よく作業をしていたがそのくらいは期間を要したのだ。

 ところが何と3~4日前に私が菜園の除草に行った時は、重機も無く解体前の準備作業もまったくなされていなかった。

 それなのに今日は建屋は殆ど解体済だったのだ。

 重機の振動に地面を揺すられながら、菜園の作物は知らんふりして成長していた。

 
 (花をつけ始めたキュウリ)

 去年はまったく駄目だったキュウリが今年は快調に生育し花を付け1~2個は既に小さな実を付けている。

 去年大丈夫だった葉物の野菜はことごとく駄目で、かろうじてレタスだけが持ちこたえている。

 もう夏日は無いだろうから、再度秋の葉物の野菜作りに挑戦してみようと思っている。

 「その響き復旧まえの破壊音」

 
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噴火後の阿蘇山に行ってみた

2016-10-11 16:05:40 | おでかけ
 熊本地震の後、3コースある登山道がすべて通行止めになっていたが、先日阿蘇駅方向からの登山道が一部片側通行区間があるものの、開通して地元の人達や山上の観光業者もほっと胸をなで下ろしたところだった。

 だったと過去形になるのは、これまた開通から日を待たずに起こった阿蘇山の爆発的噴火で入山規制され登れなくなったからである。

 が、しかし立ち入り規制は2キロ以内なので圏外の草千里までは行けるということで、急遽降灰の除去等が行われマイカーでの観光客がボチボチ訪れつつある。

 そこで、阿蘇の秋と草千里付近のレストランや売店の景気づけを兼ねて車で出かけることにした。

 
 (阿蘇遠望・・・大津町付近から)

 赤水や南阿蘇からの登山道はまだ修復されていないので、阿蘇駅の方向から登ることになるが久々に雄大な景観に気分がよくなった。

 
 (登山道から根子岳を望む)

 一部片側通行が二箇所ほどあるが、それほど長区間ではない。

 
 (放牧の牛・馬)

 以前は放牧といえば肥後の赤牛というくらいで、赤牛が多かったが最近は黒毛や馬までが放牧されていて面白い。

 
 (中岳火口の噴煙)

 登山道路を登り詰めると左カーブで一気に視界の中に噴煙をはく中岳が飛び込んでくる。

 
 (草千里と烏帽子岳)

 右手は草千里が浜が広がる。

 通常は牛の放牧が行われ乗馬も出来るのだが、現在はどちらも一時休止の状態だった。

 
 (リンドウの花)

 秋の草原には色々な草花が咲いているが、リンドウが直接地面から花を咲かせているかのように咲いていた。

 
 (草千里駐車場)
 
 道路はここまでが通行可能でこの先は規制区間で通行できない。

 駐車場も通常は有料なのだがしばらくは無料開放されるようで料金所には誰もいなかった。

 噴煙も白色で降灰もなく、抜けるような青空とススキの穂が秋を思わせるものの、一面に広がる青々とした草原は気候的には最高の行楽のシーズンだと言える。

 以外に早い登山道の再開で、もっと沢山の人達に阿蘇の秋を満喫して貰えるかも知れない。

 「噴煙に時々カツを入れられる」

 大地の息づかいを阿蘇は忘れた頃に教えてくれる。

 今までも、そして・・・これからも。

 
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自然災害列島に住むということ

2016-10-09 09:36:14 | 日常あれこれ
 一年前のブログを振り返るというサービスがあるが、4月の地震以降風景も人の心の有り様も隔世の感がある。

 そんな中で、天候気象や自然の草花はほぼ予定通りに変化を見せてくれる。

 ただ、有り難くない自然現象もある。

 例年やって来る台風や、火山間近に生活する者に対する噴火の洗礼である。

 昨日の早朝阿蘇山が爆発的噴火をしたが、今回はその映像が極端に少ないことに気づく。

 降灰した田畑や割れた窓ガラスなどが殆どで、火口カメラ以外で噴火の実際はテレビにも映し出されない。

 
 (今朝の里山)
 今日も曇っていて阿蘇の方向は見えない。
 
 (去年の噴火の頃)
 去年は秋の紅葉を観に行って帰りに噴煙を撮したことを思い出した。

 一年前の記事では台風と名前の付かない、地域によっては台風以上の被害に見舞われる強風について述べている。
「温台1号」と命名は有り?
 前回の台風は近傍に上陸したこともあって、今年としては一番強烈な台風だった。 しかし昨日から本未明にかけての低気圧の日本海側通過は、名前こそ台風とは呼ばれないものの今年二番目に......

 今年の熊本は自然災害のオンパレードだ。

 地震・大雨・長期間の猛暑・台風・火山の噴火など我が国に発生する自然災害の殆どを経験中である。

 人々の立ち上がろうとする出鼻を次々と砕いていくという自然のシナリオがあるかのようだが、くじけてはいられない。

 こうした土地に生まれ、こうした土地の自然の恵みを享受してきた我々としては災害も含めて受け入れる必要があるのだ。

 豊かさを求めての自然破壊や、必要以上の領域への進出は結局自然の怒りを買うことになるのだ。

 住む地域を限定的に考えて、「自然と共生しながら減災に努める」それ以上は踏み込まないのが本当なのかも知れない。

 「絶望はしないこれまで生きてきた」

 
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やっとネットに繋がりました♪

2016-10-07 12:23:23 | 日記
 昨夜ネットに接続できず、いろいろやったが諦めて寝てしまった。

 今朝はどうだ、混雑も解消したかな等とノンビリ接続動作をしたら未だ駄目だ。

 で、NTTに電話しようとしたら発信音が聞こえない。

 「何だ電話回線の不具合か」と、その電話を使ってNTTに通報しようとして思い出した。

 「電話は通じないのだ」・・と。

 携帯で電話して担当者の指示どおり、あっちを抜いたりこっちを確認したりと結構長い原因究明のためのやり取りがあった後に、「どうやら光回線そのものに原因がありそうなので補修担当者を向かわせます」で前半戦は終了。

 
 (道路の真上には各種ケーブルが)

 予定を変更して担当者の到着を待っていると30分位で以外と速く修理班がやって来て、電話の端末から各接続箇所を切り分け試験をしながら元を辿り、とうとうNTTの架空ケーブルに行き着いた。

 
 (我が家への分岐接続点)

 なにやらケーブルに梯子をかけてサーカスの曲芸みたいな足場で瞬く間に接続をやりなおしてくれた。

 おかげで電話もグー、ネットもやや遅れて遠慮がちにOKとなって一件は落着した。

 それにしても、道路の上は電線有り電話ケーブル有りその他諸々の線が多いこと。

 
 (電力線と解体予定家屋)

 我が家への電力線の引き込み状況を見ると、なんと傾いたため解体予定家屋の傾いた横を通って我が家の軒のひさしに引き込まれている。

 余震や台風など予期せぬ事態で倒壊したら、我が家の玄関先の崩落のみならず電力線がぶち切れることは確実な状態になっていることが判った。

 東京では小池知事が電力線や電話線等の架空設置をやめて、地下埋設等を推奨しているらしいが確かに蜘蛛の巣のような架空ケーブルは見苦しい。

 昨日からネットに接続できず少しイライラしていたが取り敢えず復旧してホッとした。

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弱り目に祟り目

2016-10-05 23:02:02 | 熊本地震
 今年は前半に台風が少なかったが、来始めたら次々とやって来た。

 台風は元々嫌だったが、今年は特別に地震被災の後なので嫌になる。

 強風でもまともに食らえば倒れそうな傾いた家が多すぎるのだ。

 
 (南の隣家)

 東側の隣家は解体を終了してほっとした。

 が、次の強い地震では倒れる公算が大でその倒れる方向は我が家の方向だと見積もられているのが南隣の家で、通学路の関係もあって公費解体の優先順位はかなり高いのだが処置はまだなのだ。

 
 (南の隣家の先には解体中の現場が見える)

 定点観測よろしく傾き具合をほぼ毎日確認しているが地震当時より確実に傾きは進んでいる。

 傾いた隣家の向こうのメイン道路に面したお店は更に危険度の高い傾きであったが、ようやく解体の作業に入ったようだ。

 二階から北側を見るとアパートの取り壊し作業が始まっている。

 
 (アパートの解体)

 強風や大雨で我が家の庭にいつも瓦が落ちている隣家の傾いた現状や、解体中で不安定な状態に置かれたまま台風の来襲を迎える家屋を見ると、なんでこんなに台風が沢山発生するのかとうらめしくなる。

 しばらく放っといてくれ!と言いたい。

 
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菜園にはまだ夏が・・・。

2016-10-03 09:24:46 | 家庭菜園
 最近雨がよく降る。

 シトシトとした秋の長雨などではなく、もの凄い大粒のスコールのような雨が降ったかと思うとサッとあがる。

 この繰り返しだ。


 久々の晴れ間に菜園に出かけてみると、それなりに雑草は生えていたがそれより気になったのは大粒の勢いのある雨で畑の畝が流されて低くなってしまっていた。

 様子見に出かけたのに、流された土を畝に上げる作業をしているうちに滝のような汗とまつげにまで絡む薮蚊の歓迎で早々に引き上げた。

 
 (菜園)

 
 (ネギ)
 
 (サツマイモ)
 
 (秋きゅうり)
 
 (白菜)
 
 (ミックスレタス)
 
 (じゃがいも)

 少量多品種が菜園のコンセプトなので、ほんの少しずつ植えている。

 ダイコン、小松菜、ほうれん草はほぼ全滅した。

 真夏を思わせるような33度などという日が続くかと思えば、強烈な雨などとにかくメリハリがつき過ぎた日が続く。

 おまけに台風も近づいている、家の方は台風への備えをそれなりに出来るが、菜園はほぼ処置なしの状況だ。

 少しでも逸れてくれることを願うのみ・・・。

 予告無しの「地震」、首を竦めてやり過ごすばかりの「雷」や台風には人間は何とも無力。

 人の英知で何とかなる「火事」・「オヤジ」と違って運不運という言葉がいつもつきまとう。

 今年になって秋らしい雲はまだ一度も見ていない。

 「猛暑日よもうフェイントはあるまいな」

 新聞の川柳投稿で1席に入ってしまった私の愚痴の句である。

 
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真相は妥協ととても仲が良い

2016-10-01 12:31:29 | 人声人語
 今日から10月、前回のオリンピックは過去の天候からこの月が一番降雨確率が低いというので10日からに決定した。

 その経緯は随分昔の話ではあるが今でもちゃんと覚えている。

 体育の日がその日を記念して設けられたことも・・・・。

 ところが今回のオリンピックは7月~8月だという話だ。

 何故そうなったのかも、ハッキリしたことは知らない。

 私だけが知らないとは思えないから、きっと日本人の大多数は????だと思う。

 招致委員会の招致作戦によるところだろう、ぐらいの捉え方だ。

 だって、普通の日本人ならだれでも日本の猛暑の中でオリンピックなんて考えつきもしない。

 
 (今日の里山方向)
 
 (昨日の里山方向)

 今年の夏も普通じゃなかった。

 もっとも毎年普通じゃなかったら、異常なのが普通という話になるので驚いてはいけない。

 空を見上げると雨雲もないのに、大雨注意報が発令されたりして冗談だろうと思っていたら本当にどしゃ降りが始まったりしてとにかく天候の変化が急激すぎる。

 
 (菊池市の井手)
 所用があって菊池市に出かけたら、駐車場の横を流れている井手は水かさを増して濁っていた。

 清流が自慢の井手だし取り付けの水車も無理矢理回されているように見えた。

 天候も異常なら、人間の方も異常でオリンピックがらみの東京の話はいかにも日本の縮図的で象徴的な話である。

 東京には金が余っているらしいからどんどん使えば良い。

 東京のお余りで地方と呼ばれる厄介者は生きていると思っているのが東京(中央)の認識だから・・・。

 原発は収束への道筋すら見いだせず、避難生活を余儀なくされている人達が、まだ10万人以上いるなんて嘘のように忘れて、東日本復旧で建設資材や労働力を取られて、オリンピックの準備が計画通り進められるだろうか等と、本末転倒の心配をしているらしが・・・。

 移転先の盛り土の話は大袈裟に見えて、実は更に大きな失態を覆い隠す手段だったりもしそうな気がする。

 我が家の周りもやっと倒壊した家屋の取り壊し作業の音がし始めた。

 機材や労働力、集積場所の確保などで解体作業は2年以内に終わらせるという目標も少々危うい。

 東日本の未曾有の大災害が風評被害だけを残して風化しているくらいだから、熊本の一地方の地震なんてとっくに東京では忘れ去られている。

 ああ、そう言えばあの地震っていつの事だっけ?沢山の見舞金や義援金それに交付金でもう復興は始まっているんでしょ?

 って、冗談がきついですなあ。

 「真相は妥協ととても仲が良い」

 まま、なんやかんやとありまして・・・ですか?

 
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