ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

若い罪(24)

2020-11-07 16:06:35 | 小説
正志は取り残した単位を取得するため久しぶりに授業に出席し、帰りにK公園に足を運んだ。目の前には池が広がり、そこに映る自分の人相は悪かった。彩乃が話していたことは、まず間違いないのだろう。あの親父が家を出た上に、どういうわけか浮気していた。アパートを借りたと書いていたが、ひょっとしたら相手の中年女性のところに、転がり込んでいる可能性もある。普通に考えれば、親父にできる芸当ではない。しかし、相手の女がよほど変わっていて、一緒に住む提案をされたらどうだろう。流されやすい面のある親父が、それを受け入れても驚きはない。ただ、これだけは確かだ。親父が長年暮らしてきた家族よりも、中年女を選んだことだけは。

孝はひとり、ベッドの中にいた。この家の持ち主である林田恵理は、今頃、酔っ払いの相手をしているに違いない。ここは心が安らぐ。こんな感覚はすっかり忘れていた。家も財産もすべて佐世子の思い通りにすればいい。自分は定年まで働いて、退職金で何とかなる。55歳で役所を辞めたいと考えたのは、言い換えれば今の生活を辞めたいということだった。なぜ55歳までかといえば、末っ子の彩乃が20歳になるまではという思いからだ。
40歳を過ぎた頃から、年々、心と体が削られていく状態だった。最初は年のせいかとも思った。しかし、徐々にその正体ははっきりとしてきた。佐世子の若さだった。夫にとって妻が若く見られるのは嬉しいことだろう。しかし、それが度を越えて特殊なものになってしまった時、苦しみに変わるのだ。佐世子と一緒に外を歩いているだけで疲れるようになった。近所の住人や町の人は、自分たちをどのように見ているのだろう?父と娘?上司と部下?年の大きく離れた夫婦?そんなことを考えているうちに、佐世子と二人で外出するのは控えるようになった。
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若い罪(23)

2020-11-07 16:01:20 | 小説
「それは若い女性なの?」
佐世子は優しく彩乃に語り掛けた。
「いや、小柄なおばさん。でも何度も腕組んだりして。年はパパとそれほど変わらないと思う」
「場所はどこなんだ?」
正志が冷静を装った声で尋ねた。
「K公園。この辺りの人なら大体知ってるよね。あんな目に付くところで堂々と腕を組んで、楽しそうに話してるんだから。パパのあんな笑顔、最近は見たことない」
彩乃の腫れた目にまた涙が零れた。
「そうなんだ。彩乃、これ以上話さなくていいよ。もう十分」
佐世子は彩乃の小刻みに震える肩を労わるように触れ、部屋から出て行った。
「親父が浮気。こればっかりは考えてなかったな」
正志も想定外と失望の入り混じった様子で席を立った。

佐世子は長女の麻美の部屋のベッドに体を横たえた。麻美が大切にしていた熊のぬいぐるみは佐世子と麻美を勘違いしているのかもしれない。
孝が家を出た上に浮気している。佐世子は裏切られた気持ちとこれからどうすればいいのかという不安が入り混じり、睡眠薬を取り出した。一錠飲んでからベッドに戻る。おそらく、孝がこの家に戻ってくることはないだろう。当面、金銭的な心配はないが、彼の金で生活していると思うと惨めさがこみ上げてくる。しかし、孝をここまでの行動に追い込んでしまったのは自分ではないのか?いつまでたっても若いという罪。しかし、それを孝がどれほど負担に思っていたかまでは、佐世子にも分からない。すぐに結論が出ないことは承知していた。しかし、考えずにはいられない。早くも空は白み始めていた
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若い罪(22)

2020-11-07 13:19:47 | 小説
「さっき、彩乃の部屋まで呼びに行ったら、泣いてたの」
それで、アヤは今日一日ずっと家にいたわけ?」
「いや、今日は久しぶりに友達何人かで遊んだみたい。夕方ごろには帰ってきたけど」
「アヤは楽しみにしてたんだろうけど、ほかの子たちにとっては、頭が受験モードになっているんだよ。その現実を目の当たりにしてショックを受けたんだろうな」
正志は正解を導き出したように満足げだった。
「お兄ちゃん、何を偉そうにベラベラと」
鋭い声がした。紛れもなく彩乃のものだった。少し遅れて見せた顔は涙で目が腫れていた。
「どうしたんだよ、その顔は」
正志は動揺を隠すように缶ビール片手に薄く笑った。彩乃は黙ってテーブル越しに佐世子と向き合って座った。

「さっきの俺の推理、当たってなかったか」
照れを隠すように正志は髪をなでながら言った。
「確かにみんなが受験にベクトルが向いているのには、当たり前とはいえ、少し焦りを感じたのは本当だよ。でも、友人たちと別れてから、それとは比べ物にならないショックを受けたの」
彩乃の発する言葉に力がない。佐世子は彼女の身に何かあったのか心配になってきた。しかし完全に意表を突かれた。
「パパが浮気してる」
彩乃は意を決して言葉にしたものの、再び涙を零しそうだった。
「まさか、冗談だろ。親父に限って」
正志は笑みすら浮かべていた。
「私だって冗談であって欲しかったよ。だから辛かったけど何度も確認した。そのうちに虚しくなってきて」
「だったら証拠を見せてくれよ。アヤ、スマホ」
正志の声が少し尖った。佐世子はじっと彩乃を見ている。
「そんなもの撮ってないよ。もう私の目で確認したから」
彩乃は力なく俯いた。
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若い罪(21)

2020-11-07 09:46:28 | 小説
皆、受験のことで頭が一杯なのだ。確かに本番まで半年を切っているし、この時代、選ばなければ大学に入学は出来ても、少しでもいい大学を目指せば、やはり競争が待っている。予備校には通っているものの、未だに受験モードに変わらない自分に少し焦りを覚える。反面、家族がバラバラだから受験にまで気が回らないという言い訳も、18歳の心には所持されているのだ。真っすぐ家に帰りたくない。その思いが彩乃の足を知らず知らずのうちにK公園まで足を向けさせていた。K公園は比較的、敷地は広く、豊富な緑の木々に囲まれている。人もそれなりに集まっている。のどかな夕景に、ささくれ立った心が、少し丸みを帯びるのを彩乃は実感した。

しかし、その心地は長くは続かなかった。少し見下ろすような角度においてあるベンチに父である孝の姿がある。そして、その隣では中年女性が孝に楽しそうに話しかけ、時折、女性から積極的に孝と腕を組んでいる。二人は長年連れ添った仲のいい夫婦として公園に溶け込んでいた。彩乃は嘘であって欲しいとの思いから、いったん目を逸らし、数秒後に再びベンチを見る。何一つ変わらない。変わったとしたら、雲のかげんからだろう。少し暗く感じたが、だからこそ二人の中年男女がより楽しそうに見えた。孝は女性に比べると動きも表情も抑えられたものだったが、あの笑顔はまだ彩乃が小学生の頃に見たものだった。
孝と女性が立ち上がった。女性は小柄だ。彩乃は居てもたってもいられなくなり、その場から離れた。そしてそのままの勢いで駅までの道を駆け抜けた。しかし、最寄りの駅で降りた時には彼女の足取りは力を失っていた。
家に辿り着き、佐世子が「おかえり」と声をかけると、彩乃は「うん」と小さな声を絞り出し、階段を駆け上がった。自室に入るなり、ベッドに倒れ込んだ。20分、30分経っても部屋着に着替える気力もなく、疲れも取れなかった。そして無意識のうちに声が出た。「パパが浮気」。彩乃はあまりの不似合いさに思わず少し笑った。しかし、それが涙に変わるまで、ほとんど時間を要さなかった。次第に涙は大粒になり、感情がさらに揺さぶられ、しゃくり上げるように泣き続けた。

佐世子は夕食を作り上げた。しかし、テーブルに目を向けても誰もいない。正志が座っていることはあるが、あいにく、まだ今日は帰ってこない。2階にいる彩乃もまだ降りてくる気配はない。孝が家を出てからは、父に対する彼女なりの罪悪感なのか、家族の一員としての自覚からなのか、一緒に夕食の席に着くことが増えた。佐世子は期待を込め、彩乃を呼んだ。しかし、返事はない。佐世子は階段を上り、彩乃の部屋のドアをノックしようとした。しかし、その手は止まった。何か音が漏れてくるのだ。佐世子はドアに耳を当てた。彩乃は泣いていた。佐世子は軽くドアをノックし、夕食ができたことを伝え、階段を下りた。
正志がワイシャツにネクタイ姿で帰ってきて、冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出し、その場で喉を鳴らした。
「どうした?元気ないんじゃない?アヤはいないんだ?最近、一緒に食べるようになって感心してたんだけどな」
「それがねえ」
佐世子が心配そうな表情を浮かべる。
「どうした?何かあった?」
つられて正志も少し心配顔になった。
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