ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

若い罪(41)

2020-11-12 15:28:42 | 小説
佐世子の外見の若さには当初、刑事も驚いた様子だったが、今回の事件とは無関係と判断したのか、それについては何も聞かれなくなった。しかし、佐世子は黙ってはいたが、理屈でなく、本能的に自身の外見もこの事件と深い関りがあるような気がしてならなかった。
マスコミの報道によれば、正志はナイフを前もって準備し、事件当日の土曜に林田恵理を殺す目的で午後1時頃からK公園で待ち伏せした。午後5時前に孝と恵理が彩乃の目撃したベンチに現れ、数分間、様子を伺った後、近くの木々の中から恵理に向かって一直線に走り、ナイフを向けた。しかし、孝が前に立ちはだかり刺してしまったということを伝えていた。佐世子にとって新しい情報はなかった。

事件から1週間が過ぎた。報道陣や野次馬が自宅の周りを取り囲んでいたが、数日で潮が引くように姿を消した。日々、新たな事件や事故は起こり、上書き保存されていく。佐世子はその間、世の中で何が起こっているのか、全くと言っていいほど知らなかった。いまは夜逃げするように自宅を抜け出し、都内のホテルの一室に彩乃と二人、身をひそめるようにして生きている。
彩乃は自分自身を責めていた。彼女が孝と林田恵理がK公園のベンチで腕を組んで楽しそうにしていたという事実を正志に伝えなければ、この事件は起きなかったとの考えに強くとらわれていた。激しく泣いたかと思えば、人形のように表情を変えず、感情をなくしてしまったのではないかと心配になることもある。それを繰り返している状態だ。彩乃から見れば、兄が父を殺したのだ。当然、麻美のことも心配だが、いまは目の前の彩乃を守るのに全力を尽くすしかないと佐世子は決意していた。夜中、すやすやと彩乃の寝息が聞こえてきた。佐世子の心がわずかに安らぐ瞬間だった。
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若い罪(40)

2020-11-12 13:38:52 | 小説
被害者である孝についても詳しく聞かれた。若い頃からの佐世子に対しての接し方、子供たちへの態度、特に正志との関係は幼少期から細かく問いかけてきた。しかし、佐世子には孝が正志に対して、一般家庭と比べて風変わりな教育をしてきたとは思えなかった。孝の平日は仕事で夜に疲れて帰宅するので、会話が少なくなるのは仕方がない。休日は男の子が孝一人だったのもあって、父子はよく外に出て、キャッチボールや虫捕りなどをして楽しんでいた印象だ。もっとも孝は現代っ子で虫は嫌いだったようだが。
勉強に関しても、孝は子供たちに押し付けるような父親ではなかった。しいて言えば、努力すれば報われるという意味合いの言葉を麻美や正志にはよく使っていた。それは孝の人生そのものだった気がする。正志は「古くせえ説教だな」と言っていたが、佐世子の感覚で正志はその古臭さをむしろ尊敬しているように捉えていた。

警察が強い関心を示したのは、夫婦が別室で寝るようになってから事件が起きるまでの5年間だった。この辺りから林田恵理との不倫関係が始まったと踏んでいるのかもしれない。刑事の質問に一つ一つ丁寧に答えた。刑事の視線が厳しさを増した。思えば佐世子自身が疑いの目を向けられるのは当然だった。もっとも恵理を恨んでいるのは佐世子と考えるのが自然である。自らは直接手を下していないだけで、共謀罪の疑いをかけられているのだろう。それは漠然と分かってはいても佐世子はもともと別の意味での共犯のように感じていた。
刑事とのやり取りは町田クリニックで話した内容に近かったので、比較的スムーズに話せた。要は「建前が多くなった.よそよそしくなった」という類の言葉を佐世子は並べた。
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若い罪(39)

2020-11-12 10:31:08 | 小説
孝の葬儀は近親者のみで行われた。参列したのは佐世子と麻美、彩乃の2人の娘。それに佐世子の年老いた両親のみだった。孝の両親はすでに亡くなり、彼の兄弟には連絡したものの怒りが強く、厄介ごとに巻き込まれたくない思いもあるのだろう。揃って「参列しない」との返事だった。佐世子はまだこの事態を受け入れられず、自分の殻に閉じこもっていた。それでも葬儀で耳に残った言葉はあった。
佐世子の父である良平が「正志とは縁を切る。もう孫ではない。あいつがすべてをぶち壊した。孝君の両親に合わせる顔がない」と涙ながらに話したこと。長女の麻美が「学校を退職した」とぽつりと言ったこと。父の気持ちには同情し、麻美の行く末は心配だったが、それ以上に佐世子の心は「もうどうでもいい。これ以上生きていても意味がない」という思いに支配されていた。

正志の供述は孝の司法解剖の結果や、恋人の林田恵理の証言とも一致していた。彼女は刑事に「犯人は私を狙っていたようです。彼がナイフを向けてこちらに走ってくるので逃げようとしましたが、恐怖で体が動かず、このまま殺されるんだと思った瞬間、孝さんが私の前に立ち、身代わりになったんです」と話した。
当然、川奈家にも警察は踏み込む。家宅捜査はすべての部屋で行われ、佐世子は事情聴取を刑事から受けた。加害者である正志の幼いころから最近の様子。どのように教育したか?正志と孝の関係。戸惑いながら応じたが、正志が孝の浮気相手の林田恵理を殺したいほど憎んでいたとは思いもよらなかった。
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