ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

若い罪(55)

2020-11-14 22:35:22 | 小説
町田も我がことのように喜んでくれた。
「彩乃ちゃん、凄いね。やれば出来る子だとは思ってたけど、あの一流大学に合格するとは予想以上だった。今度、いつも外食するレストランよりもっと高級なところでお祝いしよう。彩乃ちゃんとお母さんと私の3人で」
町田はやや興奮気味にまくし立てた。
「先生のおかげです。世間から隔離された私達を率先して自宅に置いてくれて。そんな人は他にいないです」
彩乃の目は潤んでいた。佐世子は2人のやり取りを微笑ましく見ていたが、この後、町田にある決心を伝えなければならなかった。4月からは彼女の家を出て、自立して暮らすことを。すでに1年近く前から決めていたが、折角やりがいを見つけ、勉強に集中している彩乃に悪影響を与えてしまうかもしれないと思い、佐世子は黙っていた。しかし、もはやその心配はない。佐世子母娘にとって町田は恩人である。しかし、もし町田がこのまま一緒に暮らしたいと考えていたとしても、その部分だけは譲れないと覚悟は決めていた。

数日後、町田にそのことを話すと「寂しくなりますね」と言いながらも快く応じてくれた。佐世子は家賃を1万円しか払っていないのを気にして、町田に聞いてみた。すると町田は「逆にこちらから払ってでも住んでもらいたかった」と話した。佐世子が「何かご希望はないですか?私や彩乃に出来ることと言えば限られていますが」と尋ねると、町田は「この1年半が掛け替えのないプレゼントでした」と何も望まない。しかし、しばらくして思いついたようだ。
「ああ、それなら1つだけ」
町田は遠慮気味に口にした。
「『お姉さん』と1度呼んでもいいですか?」
佐世子は町田メンタルクリニックでの似たような出来事を思い出していた。
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若い罪(54)

2020-11-14 17:50:41 | 小説
まだ教師への復帰は難しいみたいだね」
本当は麻美にその気持ちが残っているのかさえ疑わしかった。
「そうなんだ。じゃあ、しばらくは塾講師で我慢するしかないのか」
「そのうち教師に戻れるよ。諦めなければね」
彩乃は「諦め」という言葉が引っ掛かったらしい。
「お姉ちゃんは教師を諦めようとしてるの?」
「いや、麻美は後ろ向きなことは何も話してはいないけどね。でも何度も不採用が続くと、気持ちが萎えてくるのも自然なんだよ」
佐世子は彩乃の不安げな顔を眺めながら、話せる範囲で遠回りしながら麻美の現状の厳しさを伝えたい思いだった。
「お姉ちゃんには絶対に教師に復帰する夢を捨ててほしくない」
彩乃は強い口調で言った。
「捨てないと思うよ、きっと。親バカかもしれないけど、麻美ほど子供たちに知らないことを教えるのが好きな人間はそうはいないと思うから」
佐世子は祈るような気持ちだった。

年が明けて、やがて新しい春が来た。彩乃は第1志望の大学の法学部に合格。2年前では考えもつかなかった。彩乃にとって父親が殺され、犯人が兄だったという事件は、18歳になったばかりの少女には過酷を通り越す悪夢だったに違いない。
佐世子はその時の彩乃の様子から「この子はこれから先、どうやって生きていくのだろうか?」という悲観的な考えを取り払うのに苦労していた。しかし彩乃は佐世子が思うより遥かに強かった。勿論、町田の助けがあってのことだが、大きな悲劇を推進力に変えて、ふらふらしていた女子高生だった自分を、難関大学に合格するまでに高めた彩乃を心から褒めてやりたかった。「合格したよ」と笑顔で報告した彩乃の誇らしげな笑顔の輝きを、佐世子は生涯忘れないだろう。
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若い罪(53)

2020-11-14 17:39:54 | 小説
今思い出したけど、麻美がまだ小学校に上がる前、部屋の中でぬいぐるみを2、3列に並べて、少し前まで私が麻美に読み聞かせてた本を、今度はあなたが偉そうにぬいぐるみに向けて読み聞かせてるの。あの頃から自分が知っていることを小さい子に教えるのが好きだったんだろうね」
「そんなこと、あったかなあ?」
麻美が恥ずかしそうに笑った。
「あの頃が一番楽しかったかもしれない」
佐世子はそう口にして俯いた。麻美も遠くをさかのぼるような顔をして頷いた。
二人は駅の東口前に止まった。

「じゃあ、私これで帰るね」
麻美がいま現在可能な精一杯の優しい顔を作った。
「強く生きなさい。あなたの人生はまだこれからだよ」
理屈でなく感情から佐世子は言葉を発した。僅かばかりの静寂が流れた。
「うん、わかった。お母さんも体に気を付けて」
麻美は背を向けて離れていった。背筋を懸命に伸ばしてはいるが、その背中には普通の若い女性にない哀しみが漂っていた。
「がんばれ麻美。負けちゃ駄目だよ」
佐世子は小さく呟き、駅中に吸い込まれていった。

佐世子が町田の自宅に戻ると、彩乃が玄関まで小走りで寄ってきた。
「お姉ちゃん、どうだった?」
「うん、元気だったよ」
彩乃は佐世子の素っ気ない返答に少し不満だった。
「もっと詳しく教えてよ」
彩乃が先を急ぐ。町田には「今日は埼玉の長女に会ってきます」と報告すると「じゃあ、今日は外食にしましょう」との提案があった。
「リビングで少し話そうか」
「うん」
彩乃は機嫌を直したようだ。彩乃とテーブルを挟んで向き合って座ると、彼女は改めて尋ねてきた。「お姉ちゃんの様子はどうだった」と。電話やメールでは頻繁に連絡を取っているものの、正月に麻美が町田の自宅を訪れて以来、顔を合わせていない。彩乃が麻美の様子を知りたがるのも無理はなかった。
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若い罪(52)

2020-11-14 14:52:00 | 小説
「学校の教員に戻る活動は続けてる?」
「うん。続けてるけど、なかなか上手くいかなくて」
会話がすぐに途切れてしまう。麻美もそれを察したのか立ち上がった。
「コンビニでスイーツ買ってくるね。意外と馬鹿にできないよ。5分で帰ってくるから」
麻美はジャケットを羽織り外に出た。しばらくして佐世子は軽い溜息をついた。実の娘が目の前から消えて安堵している自分が情けなく思えた。しかし、今の麻美はどこか人を寄せ付けない雰囲気を漂われているのだ。佐世子がざっと部屋の中を見回す。

小さな本棚には勉強家の麻美らしく、子供たちに対する教育書や好みの小説などが並んでいる。佐世子は横に目を滑らせる。そしてあるところでそれは止まった。夜の仕事、水商売の求人誌が存在感を放っていた。探しているだけかもしれないし、すでにこうした場所で働いているのかもしれない。部屋の隅には女性が好みそうな縦長のたばこのパッケージ。正志の事件により、やはり麻美は変わってしまった。しかし、それを知れてよかったのだと佐世子は自らに言い聞かせた。

麻美が帰ってきた。彼女が言うように確かにコンビニスイーツは美味しかった。食べ終えて一段落すると話題がなくなり、また沈黙が流れた。佐世子の居心地の悪さが限界に達した。
「じゃあ、そろそろ母さん帰るね」
「うん」
麻美は安堵したようだった。しかし、思い出したように佐世子に尋ねた。
「彩乃の勉強熱はまだ続いてるの?」
「飽きっぽいあの子にしては、よく続いてるみたい。どうしたんだろうね?」
「きっと彩乃なりの目的が見つかったんだよ。志望校に受かるといいけど」
麻美の社会に背を向けたような顔が、妹を思う優しい姉に取って代わった。
「あなたのクマのぬいぐるみ、彩乃が一応、面倒を見てるよ」
「ぬいぐるみだから、ほっといても大丈夫なはずだけど」
「いや、面倒を見るといっても、挨拶代わりに頭を強めに1、2回叩くだけだけど。
「彩乃らしい」
麻美はこの日最高の笑顔を見せた。美しい笑顔だった。
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若い罪(51)

2020-11-14 14:42:27 | 小説
正志の手紙を読んだせいか、麻美は大丈夫なのだろうかと急に気になりだした。荷物を出来るだけ簡素にして町田の自宅へ引っ越してきたのだが、麻美が特別に可愛がっていたクマのぬいぐるみは少ない持ち物に選抜され、彩乃が寝室として使っている部屋に飾ってある。麻美が町田のマンションを訪れ、それを発見した時、抱えて感激していたのを思い出す。

東京から埼玉へ。近いはずの埼玉も佐世子にとっては久しぶりである。住所を教えてもらった時、麻美は「埼玉の中では都会だよ」と話していたが、列車から降りて、少し歩けば住宅地だったり、古い街並みが顔を覗かせるところが、分厚いビル群で覆われる東京都心との大きな違いだった。麻美のアパートもそんな古びた街の住宅地にあった。
「久しぶり」
麻美の声が聞こえた。その背景には色あせたアパートが立っていた。
「元気にしてる?」
「まあ、何とかね。母さんは?」
「私は大丈夫だけど」

早速、麻美は、佐世子を部屋へ招き入れた。外階段を上がって2階に3部屋並んでいる。その一番奥だった。1Kというべきだろうか。バスもトイレもついていて、部屋はフローリングで6畳はありそうだ。佐世子は少し安堵した。欲を言えばキリはないが、若い女性が住む最低限の条件はクリアしているようだ。部屋の真ん中に小さな白いテーブルが置いてある。麻美は部屋の角にあった座布団をテーブルの近くに置き、佐世子にそこに座るよう促した。
「仕事の方はどう?」
「塾講師はやってるよ」
麻美の人相が少しきつくなった気がする。佐世子の前で柔らかい顔を作ろうとしている努力は分かるけれど、ふとした表情やしぐさに佐世子の知らない麻美がいる。
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若い罪(50)

2020-11-14 11:09:33 | 小説
彼にも10代半ばの頃、多少の反抗期はあった。しかしそれは特に気にする程でもなく、短い間に過ぎていった。どちらかと言えば、温厚で優しい息子と捉えていた。その印象と父親を殺した凶暴性の間には大きな落差がある。「反省している」「重く受け止めている」との言葉は手紙に記されているが、それも上辺だけのものだとしたら、同じように刑務所でも上辺だけの模範囚を演じ、本来の刑期より早くに釈放され、世の中の厳しい目に晒されて、それに耐えられず再び凶行に及ぶ。そのような最悪のシナリオだけは避けなければならない。それを未然に防ぐことが母親として、妻としての孝への最大の償いだと佐世子は強く意識している。ならば今更ながらではあるが、もっと深い部分で正志を理解しなければならないと佐世子は感じていた。

面会とは違い、手紙のやり取りでは正志は姉の麻美を気にしているようだった。彩乃については額面通り受け取っているようで「あの勉強嫌いの彩乃が」と感慨深げな思いが彼の文章から素直に伝わってくる。しかし、麻美については小学校の教師を続けていると伝えているものの、佐世子の迷いを正志は薄々感づいているのかもしれない。「姉ちゃんは本当に大丈夫なの?迷惑を掛けて申し訳ない」と姉を心配する言葉が書き連ねられていた。佐世子としてもタイミングを見計らって、真実を伝えなければならないと思っている。いつまでも嘘をついていては、正志を理解するなどできないだろうから。
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若い罪(49)

2020-11-14 11:01:35 | 小説
佐世子は正志に何度か面会した。髪を短く刈り込み、少し痩せた正志は精悍な顔つきだった。佐世子は何故あのような行為に及んだのか直接聞きたかったが、それは理性で辛うじて抑えていた。短い面会時間が多くの沈黙で流されてしまうが、それでも姉や妹のことは気になるようで、今どういった状況なのかをぼそぼそと聞いてくる。
佐世子が「麻美は何とか教職を続けているみたい。彩乃は法律に興味を持ったようで、法学部を目指して勉強している。正志の裁判を彼女なりの視点で見て、何かを強く感じたんだと思う」と伝えると、正志は「へえ、アヤが法律ねえ」と静かに笑う。そうした以前の正志らしさが発見できるだけでも、佐世子は嬉しかった。麻美に関しては教職を辞めたという事実は伝えられなかった。

佐世子には本当はどうしても聞きたいことがあるのだが、何度来てもそれは聞けない。つまり「今でも林田理恵を憎んでいるのか」と。代わりに町田が薦めてくれた本を差し入れする。その前に佐世子自身が読んでみるのだが、大概「人を恨んでいては自身の心の平穏はない」とか「過去を反省することは大切だが、同時に自分の未来像を描くのも忘れてはならない」といった類の本。あとは正志が好みそうな本を佐世子が選んで付け足す。

佐世子は面会と同時に手紙でも正志とやり取りしていた。直接、顔を合わせるよりも、このほうが正志の本音が引き出せるのではないかと淡く期待していた。しかし内容は直接話している時とさほど変化はない。人ひとりの命を奪ったのだから、真摯に刑に服しながら心から反省するのが最も大切なことだ。そのためにも佐世子は正志の本音が知りたい。

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