ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

若い罪(35)

2020-11-10 22:32:49 | 小説
彩乃はその言葉を聞き終えたと同時に「お姉ちゃん」と言いながら、テーブルの上に突っ伏した。これらの反応が、佐世子の外見がいつまでも変わらない問題の大きさを物語っていた。しばらくは正志も目を閉じて沈黙していた。しかし、それは破られた。
「姉ちゃんの言ってることは分かるよ。俺も同じ思いをしてきたから。アヤはまだそこから抜け切れてないのかもしれない。でも親父はどうなんだ?母さんの外見が若い頃と変わらないからって、困ることなんてあるのか?」
麻美は返す言葉を探しているが、まだ見つからない。彩乃に至ってはようやく顔をテーブルから離したものの、首をうな垂れている状態だ。

「やっぱりお父さんにも困ることはあったんだと思う」
佐世子が重々しく口を開いた。
「例えば?」
正志が冷淡に聞く。
「あなたたちと同じじゃないの。この家にも何人もの職場の同僚が来ているし、そうした噂がすぐに広がるのは想像がつくでしょう」
佐世子はなぜ孝の弁護側に立たなければならないのか、よく分からなかった。しかし、自分が正志と一緒になって孝を叩き始めれば、事態は一気に離婚へと向かってしまう。それが怖かった。
「それにしても、お父さんが浮気して家を出るなんて。私が知る限りでは、一番そうしたことから遠い人だと思ってた」
麻美が微かに笑みさえ浮かべながら、孝をからかうような調子で話した。佐世子は麻美も社会に出て、すっかり大人になったという感慨があった。しかし、正志は佐世子の説明にも納得がいかなかった。
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若い罪(34)

2020-11-10 14:08:53 | 小説
「私がパパやママに冷たい態度を取ってたからだよ」
彩乃はすっかり泣き声だった。
「もう分かったからアヤは黙って聞いてろ」
テーブル越しに向き合った兄の正志が諭すように言った。しかし、一転してトーンが変わった。
「それにしても見損なった。悪いのは親父だ。それと浮気相手の女」
「まあ、その通りなんだけどね。お母さんはどう思ってる?」
麻美はいつになく攻撃的な弟に目をやり、そのまま正志の左に座る佐世子に視線を滑らせた。
「正志の言う通り、お父さんが悪い。無責任な行動だと思う。あと浮気相手の女性は彩乃から話を聞かされただけだから何とも。でも、もし直接会えば、怒りは沸くだろうね。ただ、悪いのはお父さんだけじゃなく、自分も悪い」
佐世子は正直に胸の内をさらけ出した。

「何で母さんが悪いの?俺には全然、意味が分からない」
相変わらず、今日の正志は攻撃的だ。
「それは何というか。年々、夫婦としての距離が遠くなってきた気がしてたんだけど、お父さんもお母さんも修復する努力をあまりしてこなかった」
子供たちにとって分かりにくい説明になっているのは重々承知していた。正志が何か言いたげに佐世子に視線を向ける。
「小学校の教師になって、子供には本当にそれぞれの個性があるなあと改めて思った。だから、お母さんが何十歳も若く見えるのも特別な個性で、本当は尊重されなくちゃいけない。ただ私は、多分、正志も彩乃も同じ経験をしてきたはずだけど、その若さを時に鬱陶しく感じてしまった時期がある。でもそれは私が間違っていた。むしろ母が姉のように若々しいことに胸を張るべきだったと今は思うよ」
麻美は母の代弁者となった。佐世子の目は潤んでいた。
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若い罪(33)

2020-11-10 10:31:39 | 小説
「本当かなあ?若く見えすぎるのが旦那の浮気や、ましてや離婚を決意させるほどまで大きくなるのかなあ?」
和枝が信じられないのも無理からぬところだ。女性にとって若さは本来、最大の武器のはずなのだから。それゆえに和枝が羨ましいとは言えなかった。
「それだけが原因ではないと思うけど、大きな理由なのは自分でも認めざるを得ないと思ってる」
和枝の困惑がわずかな沈黙から伝わってくる。
「まあ、孝さんをあんまり責めないほうがいいと思うよ。とにかく穏便にね」
「ありがとう」
そう言い残し、佐世子は電話を切った。和枝が迷惑に思っているのがよく分かったからだ。和枝が佐世子を心配しているのは確かではあるけれど、彼女には彼女の生活がある。余計なことに巻き込まれたくない。それが和枝の本音だろう。

麻美が実家に帰ってきたのはどれぐらい振りだろう。今年の正月以来になりそうだ。神奈川県内の小学校教師として働いている。仕事が忙しいのか、1時間半あれば十分帰れる実家にもすっかり顔を出さなくなった。
「麻美、元気でやってる?」
佐世子は少し心配顔で尋ねた。
「うん、私は元気。まだ副担任だからね。担任を持つようになったら大変だと思うけど。それよりどうしたのお父さん」
麻美が孝のことを口にした時、端正な顔が一瞬、愁いを帯びた。
「どうしたんだろうね」
佐世子がため息交じりに返す。
「お姉ちゃん、私のせいだよ」
麻美の右隣から、彩乃が切迫感を含んだ声で訴える。
「何で?お父さんは彩乃のことをいちばん可愛がってたんだよ」
麻美は彩乃の肩まで伸びた髪を軽く撫でた。
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