ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

若い罪(終)

2020-11-18 14:13:42 | 小説

佐世子の体は小刻みに震えていた。その震えた右手で手紙をテーブルの上にゆっくりと置いた。涙を拭うことも忘れ、呆然と手紙を絵のように見ていた。
「どうして気付いてやれなかったのだろう」
佐世子自身にも聞こえない程の微かな声を漏らした。

大学のキャンパスの芝生に彩乃は寝転がっていた。隣で男子学生も同じ格好をしていた。春の午後の光を浴びながら、彩乃は両手を思い切り伸ばした。
「森川君もやってみなよ。気持ちいいから」
「ああ。吉川、この後、ネットカフェでも行くか?」
「残念だけど、3時限目は必修の授業なの」
「必修も何も、吉川が授業サボったところ見たことないんだけど」
「森川君、学生の本分は?」
彩乃がユーモアを交えた偉そうな口調で森川に問う。
「勉強と言いたいんだろ。吉川って変わってるよな。遊びが好きそうな顔してるんだけど、根が真面目というか」
森川が首をひねる。
「遊びが好きそうな顔ってどういうこと?」
彩乃は一応怒った顔を作ろうとしたが、込み上げてくる笑いがそれを邪魔した。

「もしかして将来、何になるか決めてるの?」
「そうだなあ。はっきりとは決めてないけど、法律に関わる仕事。だから受験も法学部しか受けてない」
「いや、俺なんかいろんな学部を受けたよ。経済学部、商学部、文学部。大学のレベルにはこだわっていたけど。それでいま、憲法だ、民法だって苦労してるよ」
「ダメダメ君だねえ」
「なんだと?」
彩乃は素早く立ち上がり、小走りに逃げると、早速、森川も追い掛け始めた。なかなか2人の距離は縮まらない。彩乃も森川も息を弾ませながら若い笑顔を浮かべている。まだ淡さを残した陽光が彼らに、より一層の輝きを与えた。(終)

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若い罪(78)

2020-11-18 13:48:12 | 小説

それでも自分のどこかに普通の人にはない凶暴性があるのは間違いないので、何度も繰り返し過去を振り返りました。そしてある出来事を思い出しました。中学3年の時、1度だけクラスメイトの胸ぐらを掴んだことがありました。友人が止めてくれて、それ以上、相手の男子生徒を傷付けずに済みました。掴みかかる直前、彼が何と言ったのかもはっきり思い出しました。
「お前の母さん、凄い若いなあ。まさか本当の子じゃないよな。俺だったら絶対、恋しちゃうよ。お前だって本心は押し倒したいんだろ」
彼が薄笑いを浮かべた瞬間には私の頭は真っ白になっていました。

勿論、姉や妹と同じく、若すぎる母親に苦しんだ時期はありました。しかしその一方で、私には別の感情が芽生えていました。あなたに恋をしていたのです。
高校時代に1人、大学時代に2人、付き合っていた女性がいました。皆、自分から好きになり、告白しました。しかし、付き合っていくにつれて不満が募るようになり、私から別れました。知らず知らずに、いや、分からないふりをしていただけかもしれませんが、母さんと恋人たちを比べていたのです。

結局、私の感情は大学4年にまでなっても変わることはありませんでした。父親の浮気相手になぜ、ここまで腹が立つのか、当時は私自身、気が付きませんでした。林田さんより、母さん、あなたが下に見られたことに心の奥底で、激しい怒りを感じていたことに間違いありません。しかし、気付くのが遅すぎました。母さん、ごめんなさい。私は生まれるべき人間ではありませんでした。 敬具

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若い罪(77)

2020-11-18 13:37:16 | 小説

4月も下旬に差し掛かった。日に日に陽光は強まっている。ここ数日、麻美は夕食の食器を自分で洗うようになり「次は町田クリニックへ1人で行ける」と意欲を見せていた。本人によると「抗不安薬が効いているみたい」とのことだった。佐世子はタクシーを使うことを提案し、昼食を終えた麻美は、いま町田メンタルクリニックへ向かった。

佐世子は一人になった。そして午前中に届いたF刑務所に服役中の正志からの手紙の封を切った。こないだ正志に送った手紙は少し感情的になり、麻美が学校を辞め、再就職に苦労していると彼に伝えた。しかし、まずは無事に手紙が帰ってきたことに佐世子は安堵した。「迷惑をかけた」という言葉を期待しながら読み始めた。

拝啓 元気で暮らしているでしょうか?こちらは規則正しい生活もあってか、何とか健康を保っています。麻美姉さんが学校を辞めた上に、復帰することもままならないと知らされ、少なからずショックです。いろいろな人に迷惑をかけているだろうと想像はしていても、具体的に聞かされると辛いです。

さて、事件のことですが、なぜ私が林田恵理さんに強い殺意を抱き、しかもそれを実行に移して、結果的に父さんを殺してしまったのだろうと自問自答してきました。小さい頃から事件を起こすまでの自分を出来うる限り客観視してみると、同じクラスメイト達と比べて極端に短気だったり、暴力的だったことはありませんでした。だから、間違いなく私が起こした犯行なのですが、私自身が理解できないもどかしさがありました。

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