白雲去来

蜷川正大の日々是口実

スクリュー・ドライバーを知っていますか。

2010-03-02 22:36:21 | インポート

三月一日(月)晴れ。

 早いものでもう三月である。二月は、俗に「逃げる」と言うそうだが、まったくその通り。朝食を済ませた後は、事務所で、「実話時報」の連載のラストスパート。何とか間に合った。

 午後からは、事務所から、先生のイタリアで撮影された夥しい「ポジフイルム」を自宅に持ってきて、必要なものをスキャナーで取り込んだ。これが中々大変な作業で、ポジが一枚ずつケースに入っているので、それをはがしてスキャナーに取り込む。終わればまた一枚ずつ戻す。遅々として作業がはかどらない。まあのんびりやるか。

 ラジオで、中々興味深いことを聞いた。それはロシアを代表する飲み物と言えば「ウオッカ」だろう。そのウオッカが日本に入って来てのは、戦後の事らしい。ユダヤ系ロシア人の方が、戦後、日本で大東貿易という会社を設立して、ウオッカを輸入した。その後、その会社は、インベーダーゲームを作り有名になる。現在のゲームソフトのタイトーである。(詳しいことが分かるものがありましたら教えて下さい)

 タイトーの経営するゲームセンターでは、現在でも、創業者のレリーフをゲームコインにして使用しているそうだ。うろ覚えで申し訳ないが、車の中で聞いたのは、ざっとこんな感じでした。ウオッカと言えば、その昔、女の子を酔わせるために、オレンジジュースで割った、「スクリュー・ドライバー」というカクテルが流行った。

 女の子を連れて、そのカクテルをオーダーすると、バーテンが、したり顔で、こちらを見たものだ。今でも、スクリュー・ドライバーを飲む人がいるのだろうか。最も、今は、そのまま「ウオッカ・オレンジ」と言うそうだが。

 仕事の段取りを終えて、寝室に入ったのは深夜の二時を過ぎていた。最近は、読者の方から頂いた本を布団の中で読むのが、睡眠薬のようになっている。面白いので、少しずつ楽しんでいる。


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書店のハシゴをした。

2010-03-02 17:12:53 | インポート

二月二十八日(日)曇り。

 手紙の冒頭の挨拶ではないが、暦の上では春ですが、厳しい寒さの日が続いている。七時に起床して、朝食後は、連載させて頂いている「実話時報」の第九回の原稿に向う。連日、深夜の二時、三時近くまでPCに向っているので、昼間はヘロヘロである。下の子供にせがまれて、書店めぐり。まず、天気が悪いので、「みなとみらい」の中にある書店へ行ったが、探している本が無いとの事で、今度は伊勢佐木町の有隣堂へ行く。結局、ここでもなくて、他の本を買っていた。まあ久し振りに子供とデートしたと思えば、書店のハシゴも苦にはならない。欲しい本が何冊かあったが、懐不如意なのであきらめた。

 昼食は、めんどうなので、自宅の近くの「ガスト」という店で食べたが、つつくづく思うのは、こんなものは、料理ではなく、単なる「餌」であって、私にも責任があるが、ハンバーガーだとか、ファミレスで食事などしていると、必ず日本人の味覚と感性がおかしくなる。重ねて言うが、あれは料理などではなく、「餌」以外のなにものでもない。一日も早く、日本から、ハンバガーーやファミレスをなくしたほうが良い。

 夜は、「実話時報」の原稿が終わらず、PCに向った。今日も、夕食時に二杯だけにした。


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真央ちゃんの演技と涙に感動した。

2010-03-02 16:42:27 | インポート

二月二十七日(金)雨。

 バンクーバー・オリンピックでの最大の国民的関心は、何といっても女子のフィギアだろう。浅田真央ちゃんと、韓国のキム・ヨナちゃんとの対決。まあ、どうせならば、二人に金メダルを取ってもらいたいが、勝負の世界ではねそれは許されない。結局は、キム・ヨナが金で、真央ちゃんが銀。試合直後のインタビューで見た、真央ちゃんの涙には、感動した。

 最大のライバルに大差をつけられて負けたことの悔しさと、百パーセンの演技が出来なかったことに対する、自身への悔しさ。たいしたものではないか。この十九歳の女の子にして、勝たなければ意味がなく、二位もビリも同じである、という戦いのスタイル。アスリートはこれでなければいけない。メダルどころか、入賞も果たせなかった者が、インタビューで、「楽しかったでぇーす」とか、「楽しめました」などというコメントを発する度に、何か違うのではと思っていた。今回のオリンピックでは、真央ちゃんと上村愛子さんの涙に感動した。

 今日は、日本青年館で尊友同志会の勉強会と新年会があるのだが、以前から、後輩との約束があり、欠礼した。

 夜は、深夜三時過ぎまで、「大吼」の校正を行なっていた。当然休肝日。いや、夕食時に、ロックで二杯だけ飲んだ。


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二・二六事件から七十四年。

2010-03-02 16:23:05 | インポート

二月二十六日(金)曇り。

 いやはや五日ぶりにブログの更新である。今日は、昭和十一年の、いわゆる二・二六事件から七十四年目の日である。野村先生の句に、

 二・二六の今年は獄のほそ霙

がある。私の民族派としての勉強は、二・二六事件関係の本を読むことから始まったといえる。昭和四十五年十一月二十五日に起きた、いわゆる三島事件によって民族派運動に触発された私は、当時、どういった勉強をして良いのか分からずに、新聞に出ていた「二・二六事件を連想」と言う記事から、書店で、本を探し読み漁った。

 そして、それらの本に出てくる、北一輝や大川周明といった思想家の本、もちろん三島由紀夫の本から学んだ。東映の「脱出」などの映画を見たのは、まだ小学生の頃だった。残念ながら、その「脱出」はDVD化されていないが、他の二・二六事件を扱った映画は全て持っている。野村先生がプロデュースした「斬殺せよ!」も、二・二六事件を題材にした映画である。

 二・二六事件関係の本は、立野信之氏の「叛乱」、青年将校関係者で、大蔵栄一氏の「二・二六事件への挽歌」、末松太平氏の「私の昭和史」などが良い。

 今月は、二十八日までしかない。「大吼」の締め切りまで後二日。今日から修羅場である。


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