三月二十二日(月)晴れ。
昨夜、早めに寝たためか六時に目が覚めてしまった。朝食は、サリーから頂いた「五目寿司」子供達の大好物である。休日だというのに、上の子供は部活で出かけて行き、私は、午前中一杯、自宅で機関誌の編集を行なった。
午後から戸塚の「ダイエー」に子供服の買い物。ついでに、昼食もダイエーのレストラン街でとった。夕食後は、機関誌の在庫整理と表紙や内容をパソコンに入力の作業を行なった。これが中々面白くて、焼酎のロックを片手に、延々深夜二時過ぎまで行なってしまった。
私の機関誌は、初期のころが「大悲ジャーナル」。その後、現在の「燃えよ祖国」となった。本当は、昭和六十一年が第一号だが、翌年から平成二年まで社会不在を余儀なくされたので、復刊の第一号の発行は平成三年の一月である。
※復刊の第一号です。写真をクリックしますと大きくなります。私の戦線復帰直後ということもあってか、獄中者ばかりですね。
七号までは印刷所に出していたが、その後経費の関係で、コピー機による手作りとなった。当時は、パソコンなど使えず、ワープロによる作業なので、今思えば、まあ良くこんな程度のものを出していたのかと、赤面の限りである。
パソコンを導入して、何とか読むに耐えうるものが出来たのは四十九号からである。「燃えよ祖国」と改題したのは、平成十三年の一月号、通巻百七号からである。現在製作中のものが百七十五号。何とか、十九年も出し続けている。これも偏に、有料購読者の皆様のご支援の賜物と衷心より厚く御礼を申し上げます。
今まで、各号にどのような記事が掲載されていて、在庫がどの位あるかを整理していなかったので、ファイルメーカーというソフトを使って整理している。ついでに表紙のインデックスも作ってみた。
こうしておけば、表紙の写真もダブらないし、在庫のないものも一目で分かる。また、大切な原稿が整理できて良い。何でもっと早くやらなかったかと言えば、早い話が、パソコンになれていなかったからである。
今後共、鋭意努力を致しますので、ご指導と、ご支援のほどを何卒宜しくお願い致します。