四月二十八日(水)曇り。
天気が悪い日が続くと憂鬱である。今日は、平成十五年に四十二歳で亡くなった、蒼穹社の瀬野壽夫君の命日である。月日の経つのは早いもので、彼が亡くなってから七年が過ぎた。板垣哲雄君といい、若い人たちが、先に逝くのは寂しいことだ。
先日、機関誌のバックナンバーを整理していたら、かつて瀬野君が私の雑誌に連載していた「薀蓄の寅」が目に留まり、懐かしくなって読んだ。哲ちゃんの「獄中通信」や見沢知廉氏の原稿などもそうだが、いずれ亡くなった人達の特集号でも組もうかと思っている。
昼から事務所へ。お世話になっている方たちや、獄中の同志などへ手紙を書く。私は、本を送って頂いたり、季節の物を頂いた時などは、できるだけ電話などで済まさず、手紙を書くことにしている。ありがたいことに、鎌倉の小町通りで、和紙のお店を経営している、菊岡ノンコさんから、上質な和紙の「蜷川用箋」と印刷された便箋を頂いた。正直言って、そんな上等の便箋に字を書くほど達筆ではなく、むしろ悪筆に近いので、少々恥ずかしい気もするが、折角のご好意なので、その「蜷川用箋」を使用させて頂いている。
また、私が所有している野村先生の俳句や写真を葉書に印刷して、獄中の同志へ送ったり、ファンの人たちへの連絡などに使っている。しかし、忙しさを理由に、ついズボラを決め込み、忘れてしまったり、返事を書かずにいたりするので、今日のように、まとめて十通も書くハメになってしまう。「お礼とお詫びは早いほうが良い」とは分かっていても、ついうっかりしてしまう。反省しなければ。
私も、出来るだけ手紙を書くように心がけているので、反対に頂いた手紙は殆ど捨てずに残している。特に獄中から頂いた手紙は、個人別に保管してあり、古いものでは、「経団連事件」の関係や、同志達が決起した事件の当事者からの手紙など、とても捨てられない。個人的な私信なので、活字にするわけも行かないが、その内に本人達の了解を得て、発表する機会があればと思っている。
夜は、スーパーを覘いたら好物のカツオがあったので買ってきたが、やはりまだ駄目だった。昨年からロクなカツオにあたらない。早く良いものが出回らないかと、首を長くして待っている今日この頃である。軽く飲みながら、先日、。お世話になっている方からご恵送された、野口武彦著「鳥羽伏見の戦い」(中公新書)を読んだ。好きな作家の本を読んでいる時、読み終えてしまうのが惜しくて、わざとゆっくり読む。少し読んでは、他の本に浮気したりして、時間をかけて読むようにしている。読みかけの良い本がある時は、出かけていても早く家に帰りたくなる。
※是非読んでみてください。