白雲去来

蜷川正大の日々是口実

機関誌の製本作業が終了した。

2010-04-04 23:41:47 | インポート

四月二日(金)曇り。

 朝起きてみたら、納戸の雨よけに作った小さい屋根が壊れていた。これが強風で飛んでしまって、近所の家や車にぶつかっては大変と、強風の中で、壊れかけている屋根をはがして、縛ったり、応急処置をした。いずれ修理しなければならず、金のないときに、頭の痛い話である。

 午後になって風が止んだので、事務所に行って片付けをした。古い機関誌の整理などをしたので、事務所はヒドイことになっている。棚を整理したり、掃除機をかけたりして大変だった。終了後は、松本佳展君と、同じく社友のW氏に手伝って貰い、機関誌の製本を行なった。丁合機があるので、頁を重ねる手間はなくなったが、中綴じ、中折、端切りの作業が残っている。全て終了したのが四時前。自宅に戻って、松本君、小枝ちゃんらと、わが家の家族と共に、自宅近くにある、お好み焼き屋「もんじ」にて、夕食を兼ねた一献会。

 九時過ぎに、帰宅し、自宅で少し飲んでから解散。

※千葉在住の社友で、古書店「曙堂」を経営している、門脇  さんから「池袋西口講演古本まつり」の案内状が送られてきた。パンフを参照にして是非行ってみて下さい。

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Miyagih2204038 ※色で塗ってある日が、門脇さんが本部にいる日だそうです。声をかけていただけましたなら幸いです。


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霧笛が俺を呼んでいる。

2010-04-04 23:32:05 | インポート

四月一日(木)曇り。

 いやはや夜来からのものすごい強風で、中々寝付かれなかった。我が陋屋は、風の通り道にあるせいか、その影響がすごい。ガタガタ、バタバタという騒音にいつも悩まされる。家が壊れるかと思うほどの音がする。マイッタ、マイッタ。

 テレビのニュースで知ったのだが、海上保安庁は、霧の濃い日などに、船の事故を防ぐために鳴らす、「霧笛」が、レーダーやナビゲーションの発達で、廃止すると発表した。霧笛は北海道や東北に多く、関東は犬吠埼灯台と東京湾の第2海堡(千葉県富津市)が現存するのみ。この2カ所が3月末で廃止され、関東以南の海岸から霧笛が消える。

 そこで、「霧笛」のことを調べてみた。明治12年(1879)12月20日、青森県下北半島北東端の尻屋崎燈台に日本で初めての霧笛(Foghorn)が設置された。この日が霧笛記念日となっている。  霧笛は霧が出やすく灯台の明かりが見えにくくなる灯台に設置が広まったもので、現在霧笛を出す灯台が20弱残っている。「霧笛」を出すのは灯台だけとは限らず、霧の発生しやすい場所には「霧信号所」というものがあるそうだ。

 霧信号所(きりしんごうしょ)とは航路標識の一種、音波標識である。霧や吹雪などで視界が悪いときに船舶に対し音で信号所の概位・方向を知らせるものである。音を使うために風や付近騒音の影響をうけやすい弱点がある。霧笛(むてき)と呼ばれることもあるが、船舶の汽笛による霧中信号(視界制限状態における音響信号)と混同されて使われていることが多い。

 多くは灯台に併設され、その鳴り方(周期:音を鳴らす時間と止めている時間の組み合わせ)が信号所ごとに異なるため、どこから発せられているものか識別できるようになっている。音の発し方は多くがダイヤフラムホーンであるが、すでに廃止されている犬吠埼霧信号所ではエアサイレンを採用していた。

 近年、舶用レーダーやGPSなどの航海計器の普及により、視界不良時においても容易に測位が可能となったことから、2007年(平成19年)8月、海上保安庁は2009年(平成21年)度末までの3ヶ年で全国の霧信号所を順次廃止してゆくことを発表した。 2010年(平成22年)3月31日をもって海上保安庁所管の霧信号所はすべて廃止となったが、漁協などが代替機を設置して稼働しているものが存在する。

 この「霧笛」は、中々ロマンチックなもので、その昔は、横浜港でも時折聞こえ、映画や小説などのタイトルにも使用された。横浜生まれの作家である大仏次郎の小説に明治の横浜を舞台にした「霧笛」がある。映画化されたのは昭和九年(一九三四)で、監督は村田実。港の見える丘公演にある「大仏次郎記念舘」の一階にある喫茶店の名前は「霧笛」で、その奥にある近代文学館に行く途中の橋は「霧笛橋」。また元町にはレストラン「霧笛楼」がある。

 友人で、ノンフィクション作家の山平重樹さんのカラオケの十八番は、日活映画の主題歌で主演した赤木圭一郎の歌った「霧笛が俺を呼んでいる」である。芦川いずみとの港でのラストシーンが圧巻である。久し振りに、ツタヤ・ディスカスで、その映画を借りてみた。


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大下英治さんから最新刊をご恵送された。

2010-04-04 12:29:52 | インポート

三月三十一日(水)曇り。

 早いもので、今日で三月は終り。アララララと思っているうちに歳をとって行く。昨夜、九時前に寝てしまったこともあり、早朝の三時半に目が覚めてしまった。

 ノンフィクション作家の大下英治さんから、最新刊の「実録・安藤組解散ーさらなる戦い」(上・下巻、徳間文庫)をご恵送頂いた。正直言って、私は、いわゆる「任侠物」に殆ど興味がない。特に最近のDVDなどは見たこともない。見ることがあるとしたら、古い仁侠映画だけだ。しかし、ノンフィクションのように知っている方を扱ったものの場合は別だ。

 今回、お送り頂いた大下さんの本も、大行社の三本菅会長や、大日本一誠会の故大塚稔会長など、お世話になった方々が登場するので興味深く読んだ。お付き合いをして頂いているといっても、個人的なことは殆ど知らなかったので、本を読んでいて、感心することしきりである。読み始めてから、昼までかかってイッキ読みしてしまった。お陰で今日も早々に眠れそうである。

Miyagih2204036 ※オイチョかカブの面白さです。是非ご一読を。


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フランシーヌの場合。

2010-04-04 11:47:49 | インポート

三月三十日(火)曇り。

 私の世代の人達にとって、三月三十日になると、つい口ずさんでしまう歌がある。「三月三十日の日曜日、雨のパリに燃えた命一つ、フランシーヌ」・・・。残念ながら今日は日曜日ではないが、三月三十日になると、当時、反戦歌手と言われた新谷のり子さんの「フランシーヌの場合」という歌を思い出す。

 この歌の題名となったフランシーヌは実在の人物で、フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)という女学生。昭和四十四年(一九六九)三月三十日の日曜日、この日の朝、当時盛んだった学生運動に参加して反戦活動をしていた彼女は、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺した。その彼女の事を歌ったのが新谷のり子さんの「フランシーヌの場合」である。歌の中に、焼身自殺をした彼女の事を伝えるフランス語のニュースが挿入されている。

 歌が発売された昭和四十四年と言えば、東大安田講堂攻防戦。東大内での逮捕者は600名以上。この影響で東京大学の入試が中止された。美濃部亮吉東京都知事、東京都主催の公営競技廃止を通達。産経新聞社がタブロイド「夕刊フジ」を創刊。 3月12日- 首都圏に大雪が降る。  永山則夫連続射殺事件犯人逮捕。 アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たす。 そしてビートルズの伝説的なアルバム、「アビイ・ロード」が発売された。

 私は十八歳で青春を謳歌していた。民族派運動に入る前年で、ロックやR&Bを趣味とするごく普通の少年だった。部屋には、ジミ・ヘンドリックスやクリーム、レッド・ツェッペリン、ジョン・メイオール、BBキング、アルバート・キング、オーティス・スパンなどのレコードを飾り、MUGENというディスコ(当時は「ゴーゴークラブ」と言っていた)でアルバイトをしており、同い年のカワズミ・マリコさんという彼女がいた。

 翌年の昭和四十五年(一九七〇)の十一月、私の運命を変える、いわゆる「三島事件」(楯の会義挙)があり、その影響で民族派運動に参加する。毎年、三月三十日になると、「フランシーヌの場合」の歌が浮かび、その当時の頃を思い出す。

Bgeo369 ※当時のレコードのジャケットです。いいですね。

 


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