四月八日(木)晴れ。花まつり。
今日は、「花まつり」の日で、正式には灌仏会(かんぶつえ)。つまりお釈迦様の誕生日を祝う仏教行事の行なわれる日である。先生の菩提寺である伊勢原の浄発願寺にて、護摩が行なわれ、私の両親のお墓も、同じお墓にあることから、日頃からお世話になっている方に誘われて、参加させて頂いた。
浄発願寺に行く狭い山道には、今が桜が満開。紫色の山ツツジ?なども咲いており、カメラを持参してこなかったことが悔やまれた。話が変わるが、先日、後輩から手紙を頂いたが、その冒頭に、「梅が散り、桜の季節となりました」とあったので、その後輩に、梅は、「散る」と表現するのではなく、「こぼれる」と言うことを、僭越ながら教えてあげた。日本語の妙である。桜は、「咲いて、散り」、梅は、「ほころび、こぼれる」ものと、私も、以前読んだ本で知り、ハッとしたことを憶えている。
尊敬する、後輩の一人である、横山孝平さんのブログの中に、私の好きな歌である、真木和泉守の歌、「おくれては梅も桜におとるらん さきがけてこそ色も香もあれ」があった。この季節になると、その歌を思い出す。
関係ないが、昔、ワコール所属の長距離選手で真木和(まきいずみ)さんという選手がいた。前述の歌の作者でもある真木和泉と同じ読みなので、ファンだった。今は、引退しているのだろうが、もう一度、彼女の走りを見たいものだ。
「百人一首」の中にある有名な、小野小町や紀友則の歌に出てくる「花」は、桜だが、紀貫之の、「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香に匂ひける」に詠まれている「花」は、「梅」と言うのだから、ややこしい。一度、四宮正貴先生に聞いてみよう。
平沼新党がスタートした。党名は、「たちあがれ日本」というらしい。マスコミは、「年寄り」だとか、「斬新さがない」。あるいは、平沼さんと与謝野さんの理念の違いを指摘しているが、単にマスコミ受けする人だけを集めても、国家観や思想が違ってしまえば、今の民主党と同じになってしまう。以前、「週刊朝日」で、平沼さんと、田原総一郎氏との対談の中で、田原氏が、「今、守るべきものは」という質問に対して、平沼さんは、きっぱりと「皇統」と答えていた。
現在の日本の政治家の中で、堂々と「守るべきは、皇統」と、言える人が、何人いるだろうか。思想、理念に年齢など関係ない。民主党が提唱している「夫婦別姓」や「外国人参政権」などの反日的な政策は、我が国の国体を危うくするものだ。私は、次の選挙の第三極として、国家観の見えない、「みんなの党」などよりも、平沼新党に期待すること大である。
夕方から、近所の床屋さんで散髪。そのお店の前の小さな市場で、「メンチカツ」と、安いが色の良い「マグロ」の刺身を買って帰宅。夕食後は、一時過ぎまで、原稿に向った。