三月二十九日(月)曇り。
世の中は三日見ぬ間の桜かな。の句ではないが、私の自宅から一番近い桜の名所である大岡川沿いの桜並木も、すでに六分咲きとなった。しかし、この大岡川沿いであるが、私が小学校の頃は、桜の木などなく、殆どが柳の木ばかりであった。柳の木と言うと、その下にいるのは、オバケと言うのが、定番だったが、最近は、あまりそういう話を聞かなくなった。
聞くところによれば、我が国では、柳と言えばオバケのイメージが強いが、その昔、お隣の支那では、柳の木は、旅立つ人に柳の小枝を折って輪を作り、無事を祈って手渡す、という習慣があったそうだ。それを曲にしたのが、李白などの漢詩にある「折楊柳」である。柳を折って「環」にする言葉がと、帰還の「還」とは同音であるため、環を贈る→帰還を願うとなった。送別の詩で日本人に膾炙されているのが、王維の「元二の安西に使いするを送る」ではないだろうか。
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎 青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人なからん
目に鮮やかな柳の枝を折って、友と送別の酒を酌み交わす光景が目に浮かぶ。桜が増えたことは嬉しいが、「川端の柳」が少なくなったのは寂しいことだ。
夜は、自宅近くの「清水苑」にて、町内のオヤジさんたちとの、月に一回の飲み会。終了後、近くのスナックに転戦して、カラオケに興じた。