白雲去来

蜷川正大の日々是口実

川端柳が少なくなった。

2010-04-02 06:44:14 | インポート

三月二十九日(月)曇り。

 世の中は三日見ぬ間の桜かな。の句ではないが、私の自宅から一番近い桜の名所である大岡川沿いの桜並木も、すでに六分咲きとなった。しかし、この大岡川沿いであるが、私が小学校の頃は、桜の木などなく、殆どが柳の木ばかりであった。柳の木と言うと、その下にいるのは、オバケと言うのが、定番だったが、最近は、あまりそういう話を聞かなくなった。

 聞くところによれば、我が国では、柳と言えばオバケのイメージが強いが、その昔、お隣の支那では、柳の木は、旅立つ人に柳の小枝を折って輪を作り、無事を祈って手渡す、という習慣があったそうだ。それを曲にしたのが、李白などの漢詩にある「折楊柳」である。柳を折って「環」にする言葉がと、帰還の「還」とは同音であるため、環を贈る→帰還を願うとなった。送別の詩で日本人に膾炙されているのが、王維の「元二の安西に使いするを送る」ではないだろうか。

  渭城の朝雨 軽塵を潤し
  客舎 青青 柳色新たなり
  君に勧む更に尽くせ一杯の酒
  西のかた陽関を出づれば故人なからん

 目に鮮やかな柳の枝を折って、友と送別の酒を酌み交わす光景が目に浮かぶ。桜が増えたことは嬉しいが、「川端の柳」が少なくなったのは寂しいことだ。

 夜は、自宅近くの「清水苑」にて、町内のオヤジさんたちとの、月に一回の飲み会。終了後、近くのスナックに転戦して、カラオケに興じた。


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機関誌「燃えよ祖国」175号の印刷を終えた。

2010-04-02 06:13:25 | インポート

三月二十八日(日)曇り。

 城山三郎の著書に「毎日が日曜日」というものがある。浪人の身としては、ある意味で毎日が日曜日である。羨ましいなどと思う人もいるかもしれないが、「毎日が日曜日」の浪人生活で避けられないのは、生活苦と金欠との絶える事のない戦いの日々である。

 宮仕えの気苦労がない分、定期収入もなければ、当然、ボーナスや年金などもない。唯一の生活の糧は、友人の支援、そして、悪い頭を振り絞って書く、様々な原稿の類い。それでも、何とか生きて行かれるのだから、今更ながら、ご支援に感謝する次第です。

 午後から事務所にて、機関誌「燃えよ祖国」第175号の印刷に精を出した。後は、製本と発送作業が残るのみ。来週の月曜日には発送が出来ると思いますので、何卒ご寛容の程をお願い致します。

Miyagih2204035 ※ご連絡を頂けましたなら見本誌をお送り致します。宜しく、お願い致します。

 


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