白雲去来

蜷川正大の日々是口実

花の雨、けむる祖国の・・・。

2010-04-07 16:49:18 | インポート

四月五日(月)雨のち曇り。

 一日暖かいと思ったら、すぐに寒くなる。今日は「花冷え」の一日。野村先生の句に、

 花の雨 けむる 祖国の 淋しさよ

 と言うものがある。その句は、私の自宅に飾ってあるが、実は、それは鈴木邦男さんが以前、三一書房から出した「腹々時計と狼」という新書版の本の表紙の裏に、先生が戯れに書いたものを、私が貰ったものだ。私は、そういった先生の、いわゆる「落書き」程度のものも捨てずに取ってある。飲み屋のコースターの裏に書いた俳句や、単行本となった「美は一度限り」の題字のためし書き、などだ。黙っていたら、殆どが事務員に捨てられる運命の物だが、私の蒐集癖のせいで、貴重な遺品となっている物ばかりだ。

Dscf1885 ※この本の表紙の裏に書かれていたのが。

Dscf1882 ※額装して飾ってあります。今の季節にピッタリの句です。

 事務所にある、不肖・宮嶋こと、宮嶋茂樹さんが撮った膨大な枚数の先生のネガやポジをいずれデーター化しなければならないのだが、素人が片手間にできる作業ではない。業者に頼まなければならないだろうが、見積もりを取るのも恐ろしい。

 しかし、他のものは徐々にデーター化している。例えば「経団連事件」の判決文や意見陳述などだ。「燃えよ祖国」のデーター化もあと少しで終わる。頑張らなくては。

 夜は、「蜷川政治経済懇親会」という名前だけは真面目な飲み会を、同級生の高杉茂さんが経営する、野毛の「弥平」にて開催した。今回は出席者が多くて楽しい会となった。

 終了後は、友人等と、サリーの店に転戦。閉店後にサリーを誘って、再び野毛へ。三軒ほど転戦して、深夜二時過ぎに帰宅。久し振りに日を跨いで飲んでしまった。猛省である。


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花いかだ

2010-04-07 00:45:48 | インポート

四月四日(日)花曇り。

 この二、三年いわゆる「お花見」を行なっていない。自宅のすぐ近くに、とても良い公園があり、そこの桜が見事で、近所に住む友人等と三年ほど連続して観桜会を行ったが、皆それぞれ忙しくなってしまい、難しくなってしまった。

 先日のブログで紹介したが、横浜の下町を流れる大岡川の川べりの桜が見事で、近年は横浜の新しい名所になりつつある。私も、最近は事務所に行く途中に、写真を撮ったりしてその景色に見とれている。今日は、下の子供が休みなので、午後から妻を伴って散歩がてら出かけた。上の子供は、部活とやらで夕方まで帰ってこない。本来ならば、家族揃って桜の下で記念写真と思っていたのだが、子供には子供の用事があるらしく、一人が欠ける家族の写真と言うものも、寂しいものだ。

 いつもの場所に着いてカメラを向けるが、上の子供から何の連絡もないことが、頭に来て、段々写真どころではなくなり、つい妻に八つ当たりしてしまう。それでも我慢して写真を撮った。

Dscf1858 ※大岡川の桜です。写真をクリックすると大きくなります。

Dscf1855 ※何時見てもいいですね。

 ところで、桜が散って水面に浮かび、それが流れるさまを「花いかだ」と言うのを知っているだろうか。桜の花びらがまとまって流れる様を言うそうだが、日本語は実に美しい。と思ってたら、本当に「花いかだ」という花もあることを知った。

Photo ※勝手にどなたかの写真を使いました。ご容赦願います。これが「花いかだ」です。

 葉の真ん中に咲く花を、筏に人が乗った姿に見立てたそうだが、しかし、日本語には情緒があって、こんなことでも日本人であることが嬉しくなる。

 夜は、奥さんが帰郷中のカメちゃんを誘って我が家で一献会。松本君の差し入れの「赤霧島」を一人で飲むのがもったいなくて、カメちゃんと飲んだ。私の手料理で十時まで。


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靖国神社の桜の下で「同期の桜」を歌う。

2010-04-07 00:38:59 | インポート

四月三日(土)晴れ。

 今日は、本来は忙しい、予定であった。まず、午後二時から、靖国神社にて、「英霊にこたえる会」主催の「靖国神社の花の下で『同期の桜』を歌う会」(大会委員長・大原康男、国学院大学教授)がある。

 四時からは、赤坂の乃木神社にて、民族革新会議(略称・民革、犬塚哲爾議長)の定例会があり、終了後には、都議会議員の土屋たかゆき先生を講師として「民主党の実態解明」というテーマで民革の拡大勉強会がある。

 松本佳展君に迎えに来てもらい、一時前に自宅を出た。高速は空いていたが、靖国神社に近づくにつれて、渋滞が激しくなった。千鳥ケ淵や靖国の桜を見る人たちで、車が中々進めないのだ。ようやく、靖国神社に着き、会場となっている場所に行くと、何と、酒友でもある郡山の梅本武年さんらが来ているではないか。お会いするのは随分と久しぶりの事。そういえば、梅本さんは、靖国神社の維持会員で、毎年、この時期に靖国神社に参拝していることを思い出した。久闊を叙して、共に満開の桜の下で、軍歌を歌った。

Dscf1848 ※中央、右側の男の人は、ルバング島の勇士、小野田寛郎さんです。クリックすると大きくなります。

Dscf1839 ※左から三人目が大原先生です。

 一曲目は、私のカラオケの十八番の「暁に祈る」で、嬉しかった。そして「昭和維新の歌」なども披露され、とても感激した。来年からは、皆を誘って必ず参加しようと思った次第。

 二十曲も歌っただろうか。天気も良いし、喉もカラカラとなり、喉湿しに、皆で銀座の「ライオン」へ行く。ここの「アイスバイン」は、私の大好物である。しかし、残念ながら、良い焼酎がない。しばらく飲んでから上野に転戦。「板門店」というホルモン屋で「マッコリ」と焼酎を飲む。

 すっかり、民革の会議や勉強会のことを忘れて、梅本さんたちと旧交を暖めつつ、盃を重ねた。途中、新しく民革のメンバーとなった、大熊雄次氏から電話が入り、「全て終了しました」。ヒェーである。慌てて時計を見れば、九時を過ぎていた。最終で郡山に帰る、梅本さん一行と別れ、松本君と横浜に戻った。


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