白雲去来

蜷川正大の日々是口実

誤った伝聞が一人歩きをしていた。

2010-06-09 21:17:24 | インポート

六月七日(月)曇り。

 そろそろ梅雨に入るので、気持まで憂鬱になる。午前中に歯医者。終了後は、ランドマークのスタバで、「上海歴史散歩」を読む。そこに興味深いことが書いてあった。

 

 それは、上海のバンドと呼ばれる河沿いの街並に沿って黄浦公園が続いている。(と言っても、地図を見てのことだが)解説によれば、黄浦江の河原を埋め立てて一八六八年に造られたそうで、当時は外灘(バンド)公園と呼ばれていた。(注「バンド」とは、いわゆる楽団のことではなく、bundと書き、「海岸通り」という意味である。かつて横浜の山下公園脇、現在のドンキホーテのある場所にあったのが、その「海岸通り」を意味する「バンド ・ホテル」だった。余談ではあるが、そのホテルに宿泊した作詞家の藤原洸が作ったのが淡谷のり子の歌った「別れのブルース」である。原題は「本牧ブルース」だったそうだ。その歴史のあるバンド・ホテルの跡地にドンキホーテなんか作りやがって、本当に金儲けしか知らない田舎者のすることは始末が悪い。)

 

 その旧外灘公園は、かつての植民地支配の象徴ともいえる外国人専用の公園で、悪名高き「犬と中国人は入るべからず」という看板が建っていたことでも有名である。

 

 その「犬と中国人はー」の看板だが、本当は、公園運営規則が数ケ条あって、「犬を連れてきてはいけない」、「外国人専用にて中国人の立ち入り禁止」という項目は別々に書かれていて、決して、中国人と犬を同列に扱ったものではないと言うことを知った。誤った解釈が、一人歩きしてきたわけだ。だからと言って上海や香港の植民地化を正当化するつもりはさらさらない。

 

 その気になって、スタバでつい長居をしてしまったせいで駐車料金で、スタバラテを五、六杯飲めるほどになってしまったのが大失敗。

 

 夜は、今夜も家飲みの禁を破って、札幌の社友の石澤博文君が送ってくれた特大の甘エビで一杯やった。いやはや酒好きにはたまらんですネェー。


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