六月十四日(月)雨。
梅の実の熟す頃に降る雨の季節で「梅雨」。日本人の季節を表す言葉にはいつも感心させられる。
一月ほど前から、左手の肘の部分の痛みが続いている。我慢できない痛さではないのだが、痛いのが気になるので、自宅の近所の医者に行って、レントゲンを撮ったり、診療をしてもらったのだが、原因が分からない。
診療を待つ間に、病院に置いてあった「サンデー毎日」を読んでいたら、佐高信とかいう人が、有名な作曲家である古関裕而氏が、戦前は軍歌などの作曲を沢山手がけ、戦争が終わったら、「長崎の鐘」といった平和な歌の作曲をするのは許せない。手許にないので正確ではないが、大体このようなことを発言していた。
おかしな話ではないか。このような手合いは、日頃から「言論の自由」とか、「表現の自由」を声高に叫んでいる。ならば、古関氏の表現の自由も認めるべきではないか。戦争中は、国策に従って、一作曲家が国民や兵隊の士気を鼓舞する曲を作り、平和になったならば、平和の曲を作る。このことに何の不満があるというのだろうか。作曲家は思想家でもなければ、社会運動家ではない。その時代、時勢にあった歌や曲を作って何が悪いのか、良く分からん。
要は、佐高氏のような人たちは、自分たちの思想信条(恐らく、反日の左翼思想)に反するようなことには、「断固反対」で、映画「コーヴ」のような、意図的に日本人を貶める映画の上映に反対すると、「表現の自由」を持ち出すのだろう。
国家の命運を賭けて戦っている時に、その行為に協力することが「悪」であるならば、佐高氏の父親も先祖も皆、悪人となってしまう。
先の大戦中に作られた様々な企業のポスターを集めた本を持っているが、森永製菓のポスターには、「爆撃にはキャラメルを持って」とかいうものがある。また「我等のテナー」として有名な、オペラ歌手の藤原義江氏は戦前、「万歳ヒットラー・ユーゲント」という歌を歌っており、その歌の詞は北原白秋が書いている。
※ライオン歯磨きは「萬歳、祝、漢口陥落」ですよ。
森永キャラメルが、戦後に広島や長崎で、「平和の印は森永キャラメル」と宣伝したり、藤原義江が、「長崎の鐘」を歌ったならば、佐高氏は、やはり嫌悪感を覚えるのだろうか。
早い話が、古関氏のようなことは、多かれ少なかれ、あの時代に生きた人達にはあるのではないかと思っている。それを目くじら立ててもしょうがないと思うのだが。
私の好きな、映画監督であるレニ・リーフェンシュタールは、「意志の勝利」というナチのプロパガンダ映画を作ったことで、戦後、仕事を干されたが、彼女の表現の自由を守れ、という声が上がった事を、私は寡聞にして知らない。まあ、私が怒ることでもないか。
夜は、T島社のI野編集長と、ライターのN岡氏らと久し振りの一献会を催した。中華街ばかりではつまらないので、福富町の「たん右ェ衛門」へ行った。この店は、牛タンの最高に美味い店だが、最近は、あまり肉を食べたいという欲求がなく、ついすし屋など魚料理の店に足が向いてしまう。
薩摩隼人のおやじにご無沙汰を謝して、定番のコース、馬刺し、牛タン、さがり(ハラミ)に野菜串しを二本。
食後は、関内に転戦したが、珍しく十時過ぎに酔いがまわり、早めに解散した。I野編集長にスペシャル・サンクスである。