六月十九日(土)曇り。
午前中は、家族で東戸塚のダイエーにて買い物。と言っても、私は荷物持ちに終始した。午後からは、「燃えよ祖国」の最終編集。夕方には第一稿が上がり、最終校正。後は、印刷するのみとなった。
六時より、神奈川県維新協議会(中村憲芳議長)の定例会議に出席。神維協は、県単位の協議体としては、最古のものである。私も、一時期、議長の末席を汚していたこともある。いつもながら、運動や政策に関して活発な意見が交わされている。七時に終了。帰宅。
過日、青山墓地で行なわれた「無名烈士の法要」の際に、司会を務められた小田内陽太氏が、追悼の意味で歌われる「無名戦士を弔う歌」の正確なメロディーが分からないので、「人を恋うる歌」の曲で、その歌を皆で斉唱して下さいと言われ。私達も和した。
私も、その歌の正確な曲を知らないが、以前、亡くなられた大日本生産党の北上清五郎先生が歌っているのを、聞いた事があり、確か、北上先生が横浜にお見えになった折に、テープに録ってあることを思い出した。事務所へ行って、あちらこちらを大捜索。何せ、物持ちが良い反面、整理が悪い。
あった、あったと探し当てた時は、事務所は、荷物が散らかり大変なことになっていた。これをしまうと、また何がどこにあるのか分からなくなってしまう。しかし、いい汗かいた。自宅に戻り、今度はテープをデジタルに変換する作業に苦労した。変換し、パソコンに取り込む機械は、過日、購入したのだが、マスタリング?と言って、音源をクリアーにするソフトを持っていないので、CDに焼いてもアナログ状態で、雑音を拾ってしまい聞きづらい。何分にも酒席ゆえ、私の声や、周りの人の声なども入っていて、一生懸命歌っている北上先生に失礼この上もない。今更ながら平身低頭である。
記録によれば、そのテープを録音したのは、昭和五十七年の六月のこと。一緒に写っている写真を見ると、故阿部勉氏、尾崎士郎先生のご長男の表士氏、当時産経新聞の専務であった山下氏と私。場所は中華街の華都飯店とある。もう二十八年も前の事。
録音したテープには、「無名戦士を弔う歌」「黒竜会節」「憂国志士」の三曲であるが、玄洋社、黒竜会の伝統を継ぐ、北上先生ならではの熱唱である。最近は、カラオケの発達で、くだらん流行の歌は歌っても、明治、大正、昭和と脈々と民族派の先輩達によつて歌い継がれてきた歌が聞かれなくなった。伝統文化を大事に、などと言いつつ、反省しきりである。
夜は、家飲み。余り酔わないうちに布団に入った。