白雲去来

蜷川正大の日々是口実

山口申先生の勉強会に出席。

2010-06-27 23:30:54 | インポート

六月二十六日(土)雨のち曇り。

 午前中に子供と一緒に歯医者。終了後は、一時間ほど「イセブラ」。(最近は死語となってしまったが、伊勢佐木町をブラブラすることである)有隣堂にて、「もっと行きたい、鎌倉歴史散歩」(奥富敬之著・新人物文庫)を購入。アジサイの季節。鎌倉散策でも、と言う気分で買ってみた。

 

 四時に、松本佳展君に迎えに来てもらい、山口申先生が行っている勉強会に出席するために東京行き。場所は、木場に近い東陽町の弓道場。東京では最古の弓道場とのことである。道路が空いていて三十分ほどで到着してしまった。

 

 六時に開会。まず山口先生が、亡くなられた、元日本青年社の会長であった衛藤豊久先生の思い出話を語った。今月の九日は衛藤先生のご命日で、今年は三回忌にあたる。脳梗塞で倒れてから十年。薬石の効無く亡くなられたが、江藤先生の民族派運動に対する功績は、尖閣列島の灯台建設を始め、特筆すべきものがある。「風の会」の選挙も、当初は江藤先生の発案による。天上で、野村先生と一献酌み交わしているかもしれない。

 

 次は、新たに民族革新会議の議長となられた犬塚博英先生の講演。選挙が始まったが、朝鮮半島では一触即発の危機があるというのに、政治家は、誰も語ろうとしない。日米安保や沖縄の基地の問題に対しても、真剣な討論が見られない。防衛費を上回る「子供手当て」に関しても、国民は、無関心である。というようなことを話されて、とても勉強になった。

 

 終了後は、直会。酒は持ち込み、つまみは、新宿の「フェボナッチ」のママさんの手料理。古い弓道場で、皆、車座になり、意見を交わす。これが民族派の勉強会や会合の原点ではないかと、思った。カラオケもなければ、金や女といった俗な話をする者もいない。酔えば、高歌放吟し、文字通り英気を養う。私も、若い頃は、こういった場所で、先輩の話を聞いて勉強したり、伝統的な歌を覚えたものだ。良い会だった。

 

 終了後は、大熊雄次氏を送りながら、彼の地元の居酒屋で一杯。良い気分で帰宅したのは、深夜の一時を過ぎていた。松本君にエライ迷惑をかけたと、猛省。


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余り選挙に興味がなくなった。

2010-06-27 22:58:27 | インポート

六月二十五日(金)曇り。

 さすがに梅雨の最中。毎日ぐずぐずした天気の日が続いている。遅れている「燃えよ祖国」の発送が終り、ホッとしている。それでも来月に入れば、また「大吼」の秋号の準備や、連載させて頂いている原稿の執筆が待っている。ボーッとしてはいられない。

 

 巷は、参議院選挙で騒々しいが、「風の会」の選挙以来、どうも選挙と言うものに身が入らない。どこかの誰かを真剣に応援しようとも思わないし、まあ正直言って傍観者でしかないと思っている。それでも棄権したことはありませんが・・・。

 

 新聞の世論調査では、民主党が五十四議席を下回り「失速」する。と書いている。この時期に、そんなことを書くのは、かえって民主党支持者の危機感を煽り、結束を固める結果になるのではないかと危惧している。民主党が敗戦し、その結果、ガラガラポンがおこると良いとも思うが、自民党にだって、加藤紘一のような反日の連中もいるし、とどのつまりは、政策や思想信条などではなく、「好きか、嫌いか」で離合集散するのではないだろうか。所詮人間はそんなものだ。

 

 「世論」と言えば、今、読んでいる呉智英氏の「言葉の煎じ薬」(双葉社)と言う本に、「世論」を「よろん」と読むか「せろん」と読むか、どちらが正しいのか、と言うことが書いてあり、とても勉強になった。正しくは「よろん」だそうだ。それは、その言葉は正しくは「輿論」と書き、それが戦後の漢字制限の中で「輿」の字が排除され、代用漢字として「世論」が使われるようになった。とある。

 

 私なんぞ、元々教養のカケラもないので、字の使い方を良く間違える。そういった意味においては、呉智英さんの本など、百科事典よりありがたい。

 

 夜は、とっておきの「赤霧島」を飲んだが、体調が悪かったのか、味の分からぬまま、あっという間に、四合瓶が空になりそうなので、慌ててやめて寝た。

 

Img311 ※「大吼」の夏号です。是非、ご一読をお願い致します。


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