六月二十六日(土)雨のち曇り。
午前中に子供と一緒に歯医者。終了後は、一時間ほど「イセブラ」。(最近は死語となってしまったが、伊勢佐木町をブラブラすることである)有隣堂にて、「もっと行きたい、鎌倉歴史散歩」(奥富敬之著・新人物文庫)を購入。アジサイの季節。鎌倉散策でも、と言う気分で買ってみた。
四時に、松本佳展君に迎えに来てもらい、山口申先生が行っている勉強会に出席するために東京行き。場所は、木場に近い東陽町の弓道場。東京では最古の弓道場とのことである。道路が空いていて三十分ほどで到着してしまった。
六時に開会。まず山口先生が、亡くなられた、元日本青年社の会長であった衛藤豊久先生の思い出話を語った。今月の九日は衛藤先生のご命日で、今年は三回忌にあたる。脳梗塞で倒れてから十年。薬石の効無く亡くなられたが、江藤先生の民族派運動に対する功績は、尖閣列島の灯台建設を始め、特筆すべきものがある。「風の会」の選挙も、当初は江藤先生の発案による。天上で、野村先生と一献酌み交わしているかもしれない。
次は、新たに民族革新会議の議長となられた犬塚博英先生の講演。選挙が始まったが、朝鮮半島では一触即発の危機があるというのに、政治家は、誰も語ろうとしない。日米安保や沖縄の基地の問題に対しても、真剣な討論が見られない。防衛費を上回る「子供手当て」に関しても、国民は、無関心である。というようなことを話されて、とても勉強になった。
終了後は、直会。酒は持ち込み、つまみは、新宿の「フェボナッチ」のママさんの手料理。古い弓道場で、皆、車座になり、意見を交わす。これが民族派の勉強会や会合の原点ではないかと、思った。カラオケもなければ、金や女といった俗な話をする者もいない。酔えば、高歌放吟し、文字通り英気を養う。私も、若い頃は、こういった場所で、先輩の話を聞いて勉強したり、伝統的な歌を覚えたものだ。良い会だった。
終了後は、大熊雄次氏を送りながら、彼の地元の居酒屋で一杯。良い気分で帰宅したのは、深夜の一時を過ぎていた。松本君にエライ迷惑をかけたと、猛省。