白雲去来

蜷川正大の日々是口実

溜まってしまった仕事に追われた。

2010-10-19 09:10:41 | インポート

十月十八日(月)曇り。

 やっと自分の時間が持てるようになった。四、五日ほとんど仕事が出来る状態ではなかったので、朝から大変だった。六時半に起床し、家族と共に朝食。朝食が済むと、自宅には私一人だけになる。いつもは、家の片付けなどを済ませてから仕事にかかるのだが、今日は、朝からエンジン全開で机に向かった。

 

 まず、ブログを二日分更新してから、「大吼」の新年号の原稿依頼の葉書を六通書いて出した。その後は、注文を頂いた書籍の発送、カタログの発送、メールの返事など、まるで千手観音のようだ。おなかが空いたと時計を見れば、一時過ぎ、昼食を作るのが面倒だったが、外で食べる時間が勿体なく、社友会の福井英史さんから頂いた、サンヨネのウースターソースで作ったソース炒飯と、温かいうどんという何の脈絡もない昼食。

 

 夕方から事務所に行き郵便物やFAXなどの確認をしてトンボ帰りで自宅に戻り、机に向かう。ホッと一息、コーヒータイムにブログを開く。「お気に入り」をクリックすると、久し振りに「酔って候へど」が更新されていた。一切の政治色がなく、酒と肴、酒場のそぞろ歩きのブログだがこれが中々良い。読んでいるだけで、飲み屋に行っているような気持ちになるから不思議だ。その昔、サイパンで日光軒というラーメン屋さんをやっていたご主人がバンコクへ移転して、ブログを続けている「いらっしゃいませ!サイパン日光軒」も面白い。

 

 横山孝平君の「國の子評論」には、十六日に行われた青年思想研究会の物故者の法要「先人の労苦を偲ぶ会」に出席した折りに、近藤勢一氏が挨拶の中で語られた言葉が書かれていた。私も感銘を受けたので、転載させて頂く。

 

 「『死友に背かない』『死者を忘れなければ、その人は心の中に生き続ける』という言葉にとても大きな感銘を受けた。関係した人の死を受けとめることは出来ても、その思いを我がものとして生きることは並大抵のことでは出来ない。しかし、あえてその『死友に背かない』で生きる。民族派運動のスタイルは様々だが、根本の思想はここにしかないと強く感じる。」

 

 気障なようだが、私も、野村先生はもとより、先に逝った阿部勉氏や虎の会の諸兄らの「死友」に背くまいとして、群青忌や追悼祭を続けている。その青思会主催の集まりには、野村先生の法事と重なったために、大熊雄次氏に出席して頂いた。

 

 リンクしいる以外のブログで、興味深いのは、「爆ちゃん吠える」「日本よ何処へ」「不肖!宮嶋のウエブサイト」「鈴木邦男をぶっとばせ」と、読む人が暗くなる「閑人舎通信」などか。活動報告の類いのものはほとんど開かない。どれを読んでも同じような内容のものばかりで、楽しくないからだ。

 

 夕食時に、小瓶のビールを二本のみ飲んでやめた。食後は、再放送したNHKスペシャル「貧者の兵器とロボット兵器」という番組を見たが、とても興味深かった。これからの戦争と言うものを考えさせられる良い特集だった。


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