十月三日(日)晴れ。
朝からバタバタしていた。珍しく家族全員が揃っての休日。遅い朝食の後に、自宅をガァーット掃除。愚妻が美容院から帰ってくるまでは、私は原稿書き。
後三時から、事務所にて、機関誌「燃えよ祖国」の印刷を行なった。今月号の機関誌は、かつて野村事務所で出版していた現在の機関誌の前身、つまり初期「燃えよ祖国」の平成五年の一月号に「学者から死刑囚まで・私の人生を決めたこの一冊」という特集を行ったもののリピートである。
その特集には、十九人の方々から玉稿を頂いた。しかし、その中の、八人の方が幽明堺を異にされている。実に半数の方が亡くなられたのである。あらためて、十七年と言う歳月の流れを実感する。
ご尊名を書かせて頂く。北上清五郎、澤地和夫、中村武彦、野村秋介、松本効三、三浦和義、若島征四郎の諸先生である。確定死刑囚として東京拘置所にて執行を待つ身であった澤地氏は二年前に拘置所の病舎で癌のために亡くなられた。その澤地氏以外は、皆、お世話になった方々ばかりで、特に、野村先生は、その機関誌が出た年の十月に亡くなられているので、感慨は無量である。
しかし、この号のデーターがないために、新たにスキャンして、原稿を起こしたので、随分と手間がかかってしまった。また編集後記を、「実話ドキュメント」の連載原稿と間違えて、入力してしまい、アララララという感じになってしまった。まあいいか。
私が編集をさせて頂いている「大吼」の秋季号にも玉稿を頂いた方は、犬塚博英、鈴木邦男、成田健治、山浦嘉久の諸先生。「大吼」をお読みになっている方は、是非共、弊社の機関誌もお読み下さい。
夜は、松本佳展君、小枝ちゃんのお二人が来訪して、最近馴染みとなっている井土ヶ谷駅近くの「らいぶ屋」という焼き鳥屋に行き、夕食を兼ねた一献会。遅れて愚妻も合流。楽しい酒席となった。その後、自宅近くに最近オープンした「はしもと」というお店へ転戦。十一時近くまで。