十月二十一日(木)雨のち曇り。
昔は、この日は「国際反戦デー」で、左翼の過激派が街で暴れていた。確か、アメリカが始めて北爆を始めた日をそう呼んだと記憶している。北爆といっても北朝鮮を爆撃したのではなく北ベトナムの事です。
朝一番で東京行き。盟友と待ち合わせてお世話になっている方にご挨拶し、様々な資料を頂く。いつも本当に勉強になり、感謝をしている。
午前中に、横浜に戻り眼科へ。高血圧ゆえの眼底出血かと心配だったが、検査の結果は、「結膜下出血」とのこと。しかし、繰り返しおこる人は、高血圧が関係しているので要注意と言われた。午後から、掛かり付けの内科に行くつもりだったが、どうしても時間が取れずに明日にした。
五時過ぎに、去る十六日に逝去なされた浅井信吾先生の通夜式に小林民三、志村馨の両氏と共に出席した。式場となったのは、有名な生麦事件の際に、その場で絶命したイギリス人のリチャードソン以外、深手を負ったクラークやマーシャル、軽傷だったマーガレットらが退避した本覚寺である。余談ではあるが、その人たちの手当てをしたのが、有名なヘボン博士である。
このお寺は、当時、アメリカ領事館として使用されていた歴史的なお寺である。山門を上がった右側に、「アメリカ領事館跡」の碑が建っている。
浅井先生の人脈の広さを示すように千人を超える一般の弔問の方々が参集した。私が知る限り、横浜で様々な方に最も愛され、慕われた方であったと思っている。巨星落つとは、正にこの方のことを言うに相応しい言葉だ。私達に微笑みかけるような遺影に手を合わせて、本覚寺を後にした。
今日から、当分禁酒を誓った。塩分も控えめにして、サンマもそのまま焼いて、ポン酢で食べた。今日から一ヶ月の禁酒とウォーキング、そして一ヶ月の後も「家飲み」は厳禁して、体調を戻そうかと思っている。