白雲去来

蜷川正大の日々是口実

巨星落つ。

2010-10-22 21:11:37 | インポート

十月二十一日(木)雨のち曇り。

 昔は、この日は「国際反戦デー」で、左翼の過激派が街で暴れていた。確か、アメリカが始めて北爆を始めた日をそう呼んだと記憶している。北爆といっても北朝鮮を爆撃したのではなく北ベトナムの事です。

 

 朝一番で東京行き。盟友と待ち合わせてお世話になっている方にご挨拶し、様々な資料を頂く。いつも本当に勉強になり、感謝をしている。

 

 午前中に、横浜に戻り眼科へ。高血圧ゆえの眼底出血かと心配だったが、検査の結果は、「結膜下出血」とのこと。しかし、繰り返しおこる人は、高血圧が関係しているので要注意と言われた。午後から、掛かり付けの内科に行くつもりだったが、どうしても時間が取れずに明日にした。

 

 五時過ぎに、去る十六日に逝去なされた浅井信吾先生の通夜式に小林民三、志村馨の両氏と共に出席した。式場となったのは、有名な生麦事件の際に、その場で絶命したイギリス人のリチャードソン以外、深手を負ったクラークやマーシャル、軽傷だったマーガレットらが退避した本覚寺である。余談ではあるが、その人たちの手当てをしたのが、有名なヘボン博士である。

 このお寺は、当時、アメリカ領事館として使用されていた歴史的なお寺である。山門を上がった右側に、「アメリカ領事館跡」の碑が建っている。

 

 浅井先生の人脈の広さを示すように千人を超える一般の弔問の方々が参集した。私が知る限り、横浜で様々な方に最も愛され、慕われた方であったと思っている。巨星落つとは、正にこの方のことを言うに相応しい言葉だ。私達に微笑みかけるような遺影に手を合わせて、本覚寺を後にした。

 

 今日から、当分禁酒を誓った。塩分も控えめにして、サンマもそのまま焼いて、ポン酢で食べた。今日から一ヶ月の禁酒とウォーキング、そして一ヶ月の後も「家飲み」は厳禁して、体調を戻そうかと思っている。

 


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白菊の 白が溢れて とどまらぬ

2010-10-22 20:39:36 | インポート

十月二十日(水)雨のち曇り。地久節。群青忌。

 本日は皇后様のお誕生日。地久節である。起床後に皇居を遥拝しご皇室の弥栄と両陛下の御健康を御祈念する。

 

 そして今日は、十七回目の群青忌である。先生の遺影に手を合わせる。早いもので、野村先生が亡くなられてから十七年が過ぎた。私達にとっては、正にあっという間の十七年でもあった。その間、単に追悼を繰り返すだけで、何事もなせずに過ごしてきた。命日を迎えるたびに忸怩たる思いがよぎる。

  

   白菊の 白が溢れて とどまらぬ

 

 午後一時半より、東京で行われた大行社の幹部・役員会議に出席した。四宮正貴先生の次に、ご挨拶をさせて頂いた。その後、二十二日の運動の案内の説明のために出席した長谷川光良が趣旨の説明を行った。

 

 終了後に、小針相模支部長、村田神奈川支部長、内川横浜支部長と木川智君らと戸塚の「花の舞」という居酒屋で一献会。私は、個人的には、こういった居酒屋チェーンは好きではないが、五時前とあっては、入る店も限られてしまう。六時半まで飲んで自宅に戻った。

 

 ちょっと体調が良くないので、血圧を測ったら、何と百九十もあって、ゲゲゲ・・・。昨日から左目が充血して何となく物が見ずらい。ヤバイ、ヤバイ。そんな訳で早目に寝た。


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大人(たいじん)と小人(しょうじん)の差。

2010-10-22 09:11:38 | インポート

十月十九日(火)晴れ。

 同志、社友がどどっと来て、どどっと帰る。先生の墓前祭が終了すると、一抹の寂寥感を覚える。そして、必ず体調を崩す。これが例年のパターンとなった。

 

 中国では、ぞろ反日デモが起きているという。事情通によれば、官製、あるいは現体制に対する不満が反日デモとなった。など様々な分析がなされているが、そのデモを行なう人たちの品性のなさ、幼稚さ、残虐性は、そのまま民族性と同一視されることがある。

 

 中国では、辛亥革命によって清王朝が倒される前の過去の千年に六つの王朝が誕生した。その六つの王朝の中で漢民族による支配は、宋と明によるわずか二つのみで、後は異民族に支配された。契丹族(満州から中央アジアに存在した遊牧民族)が建てた遼、蒙古族の元、満州族の金と清である。

 

 その異民族支配による統治の中で、中国人の意識、民族性が形成されて行ったことは疑うべきもない。もちろん世界に誇るべき芸術や文化も築かれたが、王朝の交替時に起こる殺戮が民族のトラウマとして暗い影を落としていることも事実であろう。

 

 今回の反日デモに限らず、中国国内で行なわれる、デモや抗議集会で必ず繰り返される商店への襲撃や、特定の国の製品に対する陵辱的行為等・・・。これが民族性によるものと指摘されても、否定はできまい。もちろん、このような行為は中国人に限ったものではないが、そういう行為を繰り返す国家と民族の歴史は、不思議と似ている。

 

 十六日と十七日の二日間、中華街で食事をした。休日とあって、中華街は観光客で溢れていた。もちろん日本人のである。中華街を訪れる日本人が、中国料理をボイコットしたり、お店を襲撃する人、あるいは中国語で書かれた看板を壊す人などは皆無だった。恐らく中華街を訪れた多くの日本人の心の中には、今回の尖閣の問題を憤懣やるかたない思いを持っていたのに違いあるまい。同じ問題で、中国人と日本人の対応の差。これを日本人の意識の低さなどと思ったら、中国は永遠に世界から相手にされまい。大人(たいじん)と小人(しょうじん)の差というものは、こう言う所に出るものなのだ。

 

 夜は、自宅近くのお好み焼き屋「鶴屋」にて、石澤親子、松本、小枝の諸氏と我が家の家族との食事会。気の置けない人たちとの酒席ほど楽しいものはない。

 

 


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