白雲去来

蜷川正大の日々是口実

訃報が続く。

2010-10-28 22:20:21 | インポート

十月二十七日(水)曇りのち雨。

 北海道では初雪とのこと。横浜などにいると、雪に対して傍観者でいられる。雪国の人には申し訳ない。

 

 今年の夏の記録的な猛暑。暑すぎて白菜などの葉物野菜が育ちが悪く、韓国ではキムチが漬けられず困っているという。秋になれば各地に熊が出没。そして豪雨。気候の変化と言うよりも、何か天変地異の前触れなのではと勘ぐってしまう。今度、山浦嘉久先生にお会いしたら聞いてみようと思っている。「分析」に関しては、山浦先生の右に出る者はいないと、勝手に思っている。

 

 来月は、久し振りに札幌を訪れる。学純同の五十周年にかこつけて、仲良し会でツアーを組んだ所、何と十四人の人たちの参加の申込みがあった。前田伏樹総裁には、物見遊山で申し訳ないが、そういったことでもなければ、中々札幌に行く用事もない。小樽の青塚食堂に行くのが楽しみでもある。

 

 札幌の田中清元和尚のご尊父が逝去なされ、今月末に葬儀があるのだが、生憎、月末は、町内のお友達であるオグリンさんの娘さんの結婚式があり、以前から出席を懇願されていたので、葬儀には梶浦直樹君に行ってもらうことにした。思えば、清元和尚とは長い付き合いだ。亡くなられた青年思想研究会の高橋正義先生の書生をしている頃からだから、もう四十年に近い。前田総裁と初めてお会いしたのは、昭和四十九年の事。当時は、学純同の庶務長をしていた。長谷川光良氏は「総評デモ突入事件」で黒羽刑務所に服役中だった。前田総裁とは、現在埼玉県の中学の校長をしているS氏等が立正大学で行なった、三島・森田両烈士の追悼祭に行ったことが懐かしい。そのS氏とも先日、三十年ぶりで再会をした。良い同志に恵まれたと感謝をしている。

 

 ご葬儀と言えば、群青の会の代表である正田秀幸氏のご子息が亡くなられたと、山崎一弘君から連絡があり、正に驚愕した。ご子息が小さい頃に一緒にキャンプに行ったりしたことがある。正田氏はもとより奥様のご心痛は察して余りある。三十一日が通夜式で、翌一日が告別式とのこと。告別式に出席するつもり。正田さんご夫妻とお会いするのが辛い。

 

 夜は、原稿に向おうかと思ったが、本を読んでいたら眠くなり、そのまま寝てしまった。


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雪虫の事など。

2010-10-28 21:44:38 | インポート

十月二十六日(火)曇り。

 建国義勇軍国賊征伐隊事件で前橋刑務所に在監中の木村岳雄氏と、民主党の石井紘基刺殺事件で宮城刑務所に在監中の伊藤白水氏のお二人から同時に書簡が届いた。嬉しいことに、木村氏は残刑が一年を切ったとのこと。以前届いた木村氏からの手紙では、色々な意味で注目されている西村修平、槇泰智の両氏が前橋まで面会に行ったり、様々な支援をしていると書いてあった。両氏とは戦線を共有することはないが、激烈なる闘争の陰に、こういった獄中の同志を思いやる気持ちがあるからこそ、彼等の元に仲間が集うのだろう。獄中者への支援は、簡単なようで中々できないことなのだ。

 

 伊藤白水氏は無期であるから全く先が見えない。知り合いの方で無期が伊藤氏を含めて三人もいる。無期懲役の平均受刑年数は二十七年ぐらいと言うこと。それでも仮釈放が貰えるかどうかは断定できない。

  残刑は 十年もある 明日も雪か

 とは、野村先生の句である。月並みだが、その方々の獄中での健康を祈る次第である。

 

 弊社札幌社友会の梶浦直樹氏のブログに、「雪虫」のことについて書いてあった。北海道では、雪の降る少し前に、白い小さな羽虫が飛ぶ。その雪虫が飛ぶと本当に雪が降るから不思議だった。網走で過ごした初めての年。九月の後半に一瞬雪が舞った。私は新入工場で掃夫をしており、担当さんに、「風流ですね」と話したら、「蜷川、その内泣くよ」と言われた。年が明けた二月、流氷が接岸する頃、本当に寒さに「泣き」が入った。

 

 横浜などでは、雪は何か神様がくれたプレゼントのように感じていたが、北国の雪は、耐え、克服するものであることを知らされた。

 

 夜は、我慢しきれずに、ビールの小瓶を一本だけ飲んだ。一週間ぶりの事でもあり、五臓六腑に染み渡った。来月早々に山平重樹先生とお会いする。期待を裏切らないようにしなければ。


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