白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ぶつけた人が可哀想だから、転んだことにしてくれと。

2010-10-29 22:46:30 | インポート

十月二十九日(金)雨。

 今日も寒い一日である。またこの時期に台風が発生し、明日はその影響で風雨が強いとの事。今日の産経新聞の一面、曽野綾子さんの「小さな親切、大きなお世話」の中に、ナルホドという一文があった。全文を紹介できないのは残念だが、心に残った部分を紹介してみたい。

 

  「貧困の定義は、『今夜食べるものがない』ことだが、弁護士にも学者にもこの繁栄した日本が貧困だという人がいて、あらゆる制度を使って国家から金を貰おうとする寄生人間の後押しをする。人は、国家、社会、他人などから権利としてもらっている間は、必ず不満を覚える。自分より少しでも多く貰う人を許せない。感謝どころか、不満、憎悪、悪知恵の全てが、もっぱら内側の日本国家や社会や知人に向けて放たれる」そして、こういう国家にしたのは、「日教組と、それに抵抗しなかった親達である」と。

 

 全く同感である。右翼民族派は、半世紀近くにわたって「日教組の解体」を主張し、運動してきた。私も、民族派運動に入った直後から「日教組解体」の運動に参加した。古くは、秋田、前橋、立川・・・。当時は、右翼VS日教組という図式でしかマスコミは捉えていなかったが、先輩達が血眼になって日教組の解体、撲滅を叫んできたことが、正しかったことを、今では否定する人はいまい。

 

 午後から、愚妻を連れて病院へ行った。愚妻いわく、珍しく無愛想な医者がいて、「首が痛い」「足が痛い」と訴えても、手首の様子を見るだけで、後は、うんとも、すんとも返事をしないそうだ。ふざけた医者だ。もっとふざけているのは、愚妻の会社。病院へ行った時に、一緒に行った事務員の女性が、「罰金など取られたら(ぶつけた本人、会社の専務)がかわいそうだから」という理由で、愚妻が「転んだ」ことになっているという。可哀想なのは、ぶつけた方ではなく、ケガをした愚妻の方ではないか。誠意ある対応がなかったら、労働基準監督所に行くのはもちろん、ガツンとやってやろうと思っている。

 

 夜は、真面目に自宅で読書と原稿書き。静かな一日だった。

 


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女房が手首を骨折した。

2010-10-29 08:41:33 | インポート

十月二十八日(木)雨。

 いやはや寒い一日だった。中学の一年から二年間、牛乳配達をしていた。東條英機元首相などの戦争指導者が東京裁判で死刑になったのを荼毘にふした久保山斎場の近くが配達場所だったが、坂ばかりで牛乳を満載した自転車をこぐのがとても辛かった。冬には、当時流行っていた吉永小百合とマヒナスターズの「寒い朝」を歌いながら、配達をしたものだった。今でも、その歌を聞くと、牛乳配達をしていた頃を思い出す。

 

 午前中は原稿の下準備をして、午後から肝臓の治療のために入院している藤巻強氏を見舞うため、小林民三氏を迎に出ようと思ったら、愚妻が自宅に戻ってきた。仕事の途中で何か忘れ物をしたのかと思ったら、左手を吊っている。どうしたのかと思ったら、何でも、仕事中に、会社の敷地内でバックしてきた車にぶつかり、その勢いで、転び左手首を骨折したとのこと。顔や足も打撲で痛いとのこと。ぶつけた本人が自宅まで送ってきたが、当初は事情が分からず、文句も言わずに、お引取り頂いたが、正直言って釈然としなかった。

 

 幾ら会社の敷地内と言っても人身事故であることは間違いないにも関わらず、警察にも届けもしていないとのこと。単なる「怪我」で済ませようとする会社の態度が解せないのである。機関誌の編集や「大吼」の編集なども手伝って貰っているのに、左手が使えないのではパソコンの操作もできない。アルバイトだから多少の事は我慢しろ、と言うような姿勢であったらとんでもないことだ。

 

 子供が二人もいる主婦が片手を使えないという不便さは、どれほど家庭を不便にするかという想像力に欠けているのではないか。もし手に後遺症でも残ったならどうするのか。人身事故を起こしたという、事の重大さに気がついていないような気がしてならない。

 

 そんな訳で、一時間ほど遅れて、藤巻氏を見舞う。ことのほか元気な様子にひとまず安心。今週中には退院とのこと。病院から出て、小林氏と藤棚商店街の「大千居」という中華料理屋に入ったが、ここが中々美味かった。

 

 帰宅後は、子供達と一緒に夕食の段取りや片付け。愚妻は当分何もできないので、また仕事が増えそうだ。


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