十月二十九日(金)雨。
今日も寒い一日である。またこの時期に台風が発生し、明日はその影響で風雨が強いとの事。今日の産経新聞の一面、曽野綾子さんの「小さな親切、大きなお世話」の中に、ナルホドという一文があった。全文を紹介できないのは残念だが、心に残った部分を紹介してみたい。
「貧困の定義は、『今夜食べるものがない』ことだが、弁護士にも学者にもこの繁栄した日本が貧困だという人がいて、あらゆる制度を使って国家から金を貰おうとする寄生人間の後押しをする。人は、国家、社会、他人などから権利としてもらっている間は、必ず不満を覚える。自分より少しでも多く貰う人を許せない。感謝どころか、不満、憎悪、悪知恵の全てが、もっぱら内側の日本国家や社会や知人に向けて放たれる」そして、こういう国家にしたのは、「日教組と、それに抵抗しなかった親達である」と。
全く同感である。右翼民族派は、半世紀近くにわたって「日教組の解体」を主張し、運動してきた。私も、民族派運動に入った直後から「日教組解体」の運動に参加した。古くは、秋田、前橋、立川・・・。当時は、右翼VS日教組という図式でしかマスコミは捉えていなかったが、先輩達が血眼になって日教組の解体、撲滅を叫んできたことが、正しかったことを、今では否定する人はいまい。
午後から、愚妻を連れて病院へ行った。愚妻いわく、珍しく無愛想な医者がいて、「首が痛い」「足が痛い」と訴えても、手首の様子を見るだけで、後は、うんとも、すんとも返事をしないそうだ。ふざけた医者だ。もっとふざけているのは、愚妻の会社。病院へ行った時に、一緒に行った事務員の女性が、「罰金など取られたら(ぶつけた本人、会社の専務)がかわいそうだから」という理由で、愚妻が「転んだ」ことになっているという。可哀想なのは、ぶつけた方ではなく、ケガをした愚妻の方ではないか。誠意ある対応がなかったら、労働基準監督所に行くのはもちろん、ガツンとやってやろうと思っている。
夜は、真面目に自宅で読書と原稿書き。静かな一日だった。