白雲去来

蜷川正大の日々是口実

検察の取調べは冤罪の温床。

2010-10-09 12:47:59 | インポート

十月七日(木)晴れ。

 社友で札幌在住の梶浦直樹君のブログ「行雲流水」を読むと、札幌では、もうこの時期に朝晩はストーブをつけているという。今日は、午前中から東京へ行ったが、背広を着ていては暑くて、嫌になった。まだ残暑厳しき頃である。

 

 正午から大行社へ。丸川本部長や内川横浜支部長らと運動論など話し、一時間ほど滞在。帰宅の途中に、横浜駅で下車して、「そごう」へ。普段はデパートなどで買い物などしないが、お世話になっている方からお中元で頂いたワイシャツの仕立券の期限が近づいたので、作りに行った次第。バーバリーの一万五千円もする生地だそうだ。勿体ないが、友人氏のご好意に感謝しつつ、出来上がりが待ち遠しい。

 

 そごうの「デパ地下」で夕食の買い物をした。さすがに、そごうだけあって、良いものがおいてある。大好物のカツオと刺身用のタコ、そして、好きなポークハムなどを買って帰宅。夕食が楽しみである。

 

 検察の不祥事が、毎日ニュースになっているが、私は、検察も警察も現在の取調べや拘留の方法では、誰でも「有罪」に持ち込めるし、「自白」なんか、テクニックなどなくとも、九割ぐらいは、素人でも可能であると思っている。冤罪と言うと、大袈裟かもしれないが、恐らく、刑事事件の三割程度は冤罪で、警察、検察の都合とメンツで有罪となっているケースが多いのである。

 

 それは、現在の拘留の方法に問題がある。つまり逮捕されると間違いなく「接見禁止」がつく。ヒドイケースだと、交通違反で逮捕されても、接見禁止がつく場合がある。それが任侠団体や右翼、過激派だと当たり前のようになっているのだ。「疑わしきは罰せず」などというのは、過去の事で、現在では「疑わしき」は必ず罰せられる。逮捕されて、否認でもしようものならば、その接見禁止が起訴されるまで、あるいは公判が終了するまで、とれないこともある。

 

 中小企業の経営者や個人で事業をやっている人たちならば、一月も二月も接見禁止が続いたらどうなるか。資金繰りはできず、従業員の給料、いや家族の生活もままならない。検、警察は、それを利用するのだ。「どうせ、この程度の罪じゃあ、せいぜい罰金か、悪くても執行猶予だ。だから認めて、早く出たほうが良い。裁判で争えば長引くし、その間、接見禁止も続くよ」と、暗に恫喝し、罪を認めさせるのだ。よほどの者でない限り、必ず、その「囁き」で、やってもいないことを認めてしまう。特に逮捕歴や政治的信念のない人たちならば、イチコロである。

 

 否認を続け、無罪を勝ち取った、村木厚子元厚生労働省局長などは、ごく稀なケースであるからこそ、世間が騒いだのだ。もし、村木さんが、検察に屈し、罪を認めて下獄していたら、今回の押収資料改ざんは世に出なかったかもしれないのだ。

 

 その他、否認を続けていると、子供の級友や、勤めている会社に行ったりするイヤガラセなど日常茶飯事である。根性の悪い奴になると、わざわざ留守の時をねらって「ガサ」をかけたりする。本人が留守だと、立会人が必要なので、マンションだと管理人、一軒家だと町会長などを立ち会わせる。コイツは悪い奴なんだと言うことを印象付けるためにである。

 

 この方法で、どれほどの冤罪が作られてきたか。裁判をすれば、間違いなく「無罪」となると分かっていても、その間、保釈も認められず、接見禁止が続いたならば・・・。という精神的なプレッシャーを利用するのである。被疑者との面会には、必ず、警察官か拘置所の看守が立ち会うのだから、「事実の隠匿」や内緒の打ち合わせなど出来るわけがないのだ。従って接見禁止など何の意味もない。

 

 もちろん警察官にも良い人たちはたくさんいる。(私は検察官に友人がいないので、良い人がいるかどうか分からない)善良な警察官の人たちによって、日本の治安が守られているのは事実であるし、尊敬に値する人たちも多い。その警察官の日頃の努力に比べて、検察官の努力とは一体何だか良く分からん。


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