白雲去来

蜷川正大の日々是口実

きみまろではないが、「あれから二十五年」。

2012-01-14 11:36:27 | インポート

一月十三日(金)晴れ。

 

 いやはや寒い朝であった。まあこの時期では当たり前のことかもしれないが、日々の生活の中に緊張感がない分、ついこういった甘えが口をついて出てしまう。我ながら情けない。

 

 二十五年前の昨夜から、横浜には珍しく大雪が降った。明けて外を見ると一面の銀世界が広がっていた。一瞬、二・二六事件の決起将校が見守ってくれるような気がした。現場近くの公衆電話から野村先生のご自宅に電話。「ニイタカヤマノボリマス」。その日から四年余の囹圄を余儀なくされた。私はまだ三十五歳だった。

 

 

 時の経つのは早いものだ。野村先生も、安藤太郎氏も幽明境を異にした。いやお二人だけではない。親しくさせていただいた諸先輩や同志、友人の多くが亡くなられた。そして私は、昨年、還暦を迎えた。最近、ただ何となく生きている。という感がある。若いころのような情熱も失せて、文字通りの残りの人生・・・・のような気がする。

 

 

 もし人生の中で、一番良かったと思う時は、と聞かれたならば、私は間違いなく、あの事件にて三年余を過ごした網走での日々であったと、素直に答えることができる。これは決して強がりではない。あの時に、一歩を踏み出していなかったならば、私の人生は、無味乾燥なものになっていたに違いあるまい。独房で寒さに震えながら読み、書いた時間がなければ、たとえ小学生の作文に毛の生えたような文章も書けずにいたと思う。

 

 

 四つん這いになり、汗と土埃に汚れながら行った農作業の数々。冬の住吉農場での伐採作業や雪かき。そのどれもが今では懐かしい。自堕落な生活の中に身を置いていると、ふとその頃に戻りたいと思う時がある。この歳ではそんな重労働などできもしないが、「朝の来ない夜はない」と歯を食いしばって読書した日から、もう二十五年が過ぎたのか・・・。

 

 

 下の子供のリクエストで、みなとみらいの書店に行く。私は、吉村昭の「ポーツマスの旗」(新潮文庫)を買った。いわゆる司馬史観というものがある。言うまでもなく、司馬遼太郎氏の歴史観である。一口に言えば、幕末では、尊王攘夷派の人たちが正しく、佐幕派の人たちはをあまり評価しない。さらには、明治は正しいが、大正、昭和、特に昭和の軍隊を悪と考える歴史観である。この司馬史観の対極にいるのが吉村昭氏ではないだろうか。佐幕派の中にも、昭和の軍隊にも、正義はあり、評価すべき人たちがいて、そういった人たちにスポットを当てて、歴史小説を書いている。

 そんなことを意識したわけではないが、「ポーツマスの旗」を買った。この本は、網走時代に一度、官本で読んだが、手元にないので買ってみた。

 

 

 岐阜の細川院長からメールで「不随の病院王・トラオ」を読めと催促されているが、買って、読んでいない本が七冊ほどになったので、これをすべて読了してから購入するつもりでいる。

 

 夜は、愚妻が職場の新年会とやらでいないので、子供たちと一緒に、鳥の手羽の蒸し物、おでんを作って、一杯やった。その後、十二時過ぎまで、吉村昭氏の本に付き合ってもらった。


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