白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「アジアは一つ」などと言うのは、感傷か幻想である。

2012-01-11 15:26:45 | インポート

一月十日(火)晴れ。

 朝起きて三人分の弁当を作った。家族が皆出かけてしまうと当然ながら一人になる。浪人の身としては、ただぼうっとしてはいられない。食事の後片付けに、掃除に洗濯(ほんとです)それから、パソコンの前に座ってメールなどのチェック。さすがに新しいパソコンだけにサクサク動いて画面もきれいである。

 

 ひと段落したところで眼科に行く。今年になってから、どうも目の充血がとれない。もともと結膜炎になりやすい体質なので、年に二三回は眼科通いとなる。その後事務所へ行き、古いパソコンをセットしたり、郵便物の確認などをしてから帰宅。

 

 何のテレビかは忘れたが、興味深いものを放送していた。それは、道端で抱えている果物を落としたら何人の人が一緒に拾ってくれるかというものである。日本やイタリア、南米にアメリカ。一つの国で二十回果物を落として実験するのだが、外国では、フレンドリーなお国柄かイタリアが二十回のうちに十二回拾ってくれた。一番最低だったのは、中国で、わずか一回のみ。ちなみに日本は、二十回のうちにすべて歩いている人たちが手伝って拾ってくれた。

 

 

 我が国は、近隣諸国に気を使うが、近隣の国は、日本にとんと気を使わないことが良く分かる。「アジアは一つ」なんて言う言葉は、単なる少女趣味の感傷に過ぎないことを私たちは知るべきである。人さらいや、自分のものは自分のもの。人のものも自分のものと主張する国や、火事場泥棒、脅迫を平気で行う国と人たちに囲まれているという現実を、自覚したほうが良いと思うのは私だけではあるまい。

 

 夜は、東京から友人が来訪して、久しぶりに野毛で飲んだ。三軒転戦してから十時過ぎに帰宅。


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