一月十五日(日)晴れ。
今日も良い天気である。天気の良いのは嬉しいのだが、横浜はもう一月も雨が降っていない。そのせいか空気が乾燥していて、私の周りでも風邪をひいている人が多い。午前中は、仕事に専念。
一時から倶利伽羅紋々のアッコ姐さんが主宰している神輿会の新年会があるので、愚妻とともに出かけた。新年会の場所となっている相鉄線の天王町の駅近くの小料理屋まで歩いて行くことにした。一時間とみて正午に自宅を出たら、ぴったり一時間で着いた。
集まっている人たちのほとんどがお神輿関係の人たちで、半分ぐらいは知らない人たちがいた。それでもいつものサリーファミリーの飲み仲間と一緒になって、楽しい酒席となった。その後、有志で二次会。藤棚の「愛福楼」へ十五人ほどが集まった。帰宅したのは六時。そのまま寝てしまった。
そういえば、オウムの信者で、指名手配を受けていた平田が出頭した。その後に、彼をかくまっていた女性信者も出頭した。ワイドショーは、私が思った通りの展開となり、思わず笑ってしまった。それは「平田容疑者との愛欲の日々」。
私は、女が出頭してきたときから、ワイドショーは、このように報道すると思っていた。暇なオバハン相手のワイドショーは、所詮その程度でしかない。また、平田が出頭してきた動機について、「麻原の死刑を遅らせるため」とかいうコメントを出している人たちがいるが、私は、そんなことは決してないと思う。
麻原の死刑を遅らせる、という意味では、一番ホットしているのは民主党の法務大臣ではないか。平田が出ようが、出まいが、まず間違いなく法務大臣は死刑を執行しない。これは自民党の政権であっても同じだと思う。理由は簡単で、麻原を「殉教者」にしたくないという、表向きの理由と、自分が法務大臣の時に、「麻原を死刑にした」という事実を残したくないからだ。
古くは帝銀事件の平沢貞道や連赤の永田洋子、連続企業爆破事件の確定死刑囚など、世間の注目を浴びている人や政治犯などを死刑にする勇気など持ち合わせていないのだ。皆、心の中で、自然に獄死してくれることを願っている。早い話、自分の手を汚したくないだけなのである。
一歩も表に出れずに、楽しいこともない。周りの者が皆、警察官に見えてしまう逃亡生活に疲れただけなのである。「自由なことができない自由」というものは、ある意味で、「拘束」されているよりも辛い。平田は、たとえ警察官であっても、他人と話のできる自由を喜んでいるのに違いない。と私は思う。