白雲去来

蜷川正大の日々是口実

風に吹かれて。

2012-04-25 23:53:55 | インポート

四月二十五日(水)曇り。

 今日は、盟友だった故渡邉康司氏の十七回忌法要が、彼の墓所である小田原のお寺で行われる。当初、車で行こうとも思ったが、暖かいので電車で行くことにした。

 保土ヶ谷から午前十一時の横須賀線で、戸塚へ、そして東海道線に乗り換えて鴨宮で下車。タクシーでお寺まで行こうかとも思ったが、時間も早く、天気も悪くないので歩いて行くことにした。駅で聞けば、お寺までは二十分ほどの道のりとのこと。

 鴨宮で降りるのは初めての事である。その手前の二宮や大磯へは、かつて大日本殉皇会の小早川貞夫先生がご健在の頃は、ご自宅にうかがう為に利用したことがある。東海道線の車窓から、大磯、二宮の景色を見ながら、初めて小早川先生宅を訪れた昭和四十七年当時の事を思い出した。

 鴨宮の駅を降りて歩いていると、吹く風に海の香りがする。昼時なのに町に人影がほとんど見えない。車の通る音よりも風の音がうるさいくらいだ。知らない町を歩くのが好きだ。旅が手頃でなかった時代に、「遠くへ行きたい」という歌が流行った。「知らない町を歩いてみたい。どこか遠くへ行きたい」。そんな暇も、金も、勇気もない癖に、その歌で「知らない町」を夢想した。本当に静かな町を歩いていると、「遠くに行きたい」の歌が、頭の中でリフレーンして聞こえてきた。法事に出席する人が、私に気付いて車に乗らないかと誘ってくれたが、もう少し歩いてみたかったので、固辞した。

 渡邉君の眠るお墓は、西湘バイパスのすぐ横にある。平成八年に彼は四十五歳と言う若さで突然この世を去った。亡くなる前日、あるパーティーで一緒になり、二次会に誘われたが、断ってしまった。その日の事が胸の痛みと一緒に甦ってきた。彼のお墓に来るのは随分と久しぶりの事だ。そのことに対する思いが、歩くことで癒されるかもしれないと思ったのだ。

 一時から法要が始まった。亡くなった当時のままの彼の遺影がある。生きている私たちだけが年老いて行く。追悼を重ねて行くということは、すなわち生きていることへの言い訳をしているのかもしれない。

 缶ビールを二本飲んだだけにもかかわらず、自宅に戻ったときは、なぜか疲れて一時間ほど横になった。

Scan0013※この演説会が、同年の三月三日に起きた「経団連事件」の支援集会となった。まだ私が蜷川一誠と名乗っていた頃である。主催は、渡辺康司君の国防青年隊で、茨城にいた倉持次雄君が責任者だった。その倉持君も若くして亡くなられた。

Dscf4496※渡邉君の墓所にて。諸先輩と共に。


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月下独酌。

2012-04-25 23:09:17 | インポート

四月二十四日(火)晴れ。

 

 いい天気である。今年初めて半袖で過ごした。午前中は、パソコンに向かって原稿の段取り。今月は、ゴールデンウイーク進行と言うことで締切が早い。頑張らなくては・・・。

 午後から、支払。確定申告の税金、事業税やら少し遅れても延滞金がついて大変である。支払うものが沢山あるのに、収入がついて行かない。永遠にマイナス成長である。赤字国債でも出したいくらいだ。

 やらなければならないことが山ほどあるのに、どうもエンジンキーを回せない。ガソリンと言う名の酒を入れすぎても車は走らないということを自身が証明している。

 夜は、花房東洋先輩から回顧録?「大愚記」を送って頂いたことのお礼の手紙や、編集をした坪内隆彦氏へ慰労の手紙、そして、先日の札幌行きでお世話になった方々にお礼の手紙など六通を書いた。終了後は、我が酔狂亭で月下独酌。

Photo※花房東洋先輩の回顧録「大愚記」。表紙が不祝儀袋とは暗示的である。

Photo_2※「大愚記」序。


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