五月十五日(水)晴れ。岐阜にて。
良い天気である。昨年に続き、「大夢祭」に出席。本当は、三上卓先生に関する、贔屓の引き倒し、みたいな本が出たのを読んでむかついたのでやめようかとも思ったが、花房先輩とは直接関係ないので、考え直して参加することにした。門下生と言うのは、その志を継ぐことが責務である。同じ事などは到底できないが、恩師の思想と行動を風化させないように努力することが、門下生としての最低の仕事である。
ゆえに花房先輩は、恩師の資料館「大夢館」を作り、毎年、五月一五日には、追悼祭である「大夢祭」を行い、この度、河野邸焼き討ち事件にて三上卓先生が証人出廷した記録を小冊子にして出版された。二度の長い懲役、最後は自決する、というある意味では三上精神を体現した野村先生を、会ってもいない奴が批判したりするのはとんでもないことだ。じゃあお前がやってみろ。というと、必ず「ただの物書きですから」と逃げるに違いない。自分に都合の良い、また耳触りの良い情報だけを集めた、ルポルタージュとしては最低の本。私は、どんな本でも大事にするが、生まれて初めて買った本をごみ箱に捨てた。
岐阜の駅に着いたのは、午前十時。まだ十一時半の開会まで時間があるので、駅でコーヒーを飲みながら、過日ご恵送された「プロメテウスの罠」を読んだ。煙草の煙が気になったので、コーヒーショップを出たが、まだ早い。いつもなら知らぬ土地で路線バスなど乗らないのだが、天気もいいことだし、案内所で聞いてバスに乗った。横浜は乗る時に支払うが、こちらは降りる時に払う。護国神社の近くまでは十五分ほど。二百円だった。私が岐阜に来た頃は、路面電車が走っていた。残しておけば良いものを・・・。と思っているのは旅人としての私だけだろうか。護国神社のある公園を散策していたら「満蒙開拓団」の慰霊碑があった。次は必ずお参りするつもり。
正午に、大夢祭(「大夢」は三上卓先生の号)開始。厳粛な神道の儀式。胸を打つ「祭文」と「大楠公」の琵琶の弾き語りにはとても感動した。一時間ほどで大夢祭は終了し、その後直会。ほとんどが知っている人たちばかりなので、楽しい時間だった。その後、大夢館に場所を移して二次会。一時間ほどでお暇して、五時過ぎの新幹線で横浜へ。
帰宅後は、疲れていたので、早めに寝た。