六月三日(金)晴れ。
アコウダイの粕漬、焼き海苔、白菜のおしんこ、に、とろろ昆布のスープ。野村先生とイタリアを旅した時、洋食に飽きたので、持参した、とろろ昆布に顆粒のカツオだし、鰹節を入れて、醤油で味をつけてから、熱湯を注いでスープにした。これを先生に作ったら、いたく喜んでもらった。考えてみると、野村先生と海外に行くと、大体中華料理か、日本食ばかりだった。それでもシチリア島に行った時は、地元の料理が口にあったのか、毎日、イタメシばかりだった。海外に行く時は、インスタントの味噌汁やスープを持って行くと重宝する。もちろんアジアは別だ。
先人の書を眺めるのが好きだ。中には達筆すぎて、全く何が書いてあるのかさっぱり分からないものもあるが、それはそれで楽しい。辞書を引いたり、漢詩の本や中国の故事来歴などの本を見ながら書いてある意味を調べると言うのも、勉強になる。頭山満先生の書は、論語や「十八史略」などから引用した物が多い。大東亜戦争の時代には、「忠孝」や「赤心報国」「忠孝国乃大本」「忠君愛国」といった時代を反映した物が多いように思う。これは揮毫をお願いする側が、その時代に適したものをお願いしたのではないかと思っている。
我が家に頭山満先生の「行義以達其道」(義を行い以って、其の道に達す)という書がある。これは、論語 季氏第十六からの一節である。
孔子曰く、善を見ては及ばざるが如とくし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾其の人を見る。吾れ其の語を聞く。隠居して以って其の志を求め、義を行ないて以って其の道を達す。吾其の語を聞く。未だ其その人を見ざるなり。
現代語訳は、「先師がいわれた。善を見ては、取りにがすのを恐れるようにそれを追求し、悪を見ては、熱湯に手を入れるのを恐れるようにそれを避ける。そういう言葉を私はきいたことがあるし、また現にそういう人物を見たこともある。しかし、世に用いられないでも初一念を貫き、正義の実現に精進して、道の徹底を期する、というようなことは、言葉ではきいたことがあるが、まだ実際にそういう人を見たことがない」。
分からないものも、何点かあるので、今度、森田忠明さんにお会いした時に教えて頂こうと思っている。夜は、藤棚の「一休」のオヤジに教えて頂いた松原商店街の魚屋でカツオを仕入れ、酔狂亭で月下独酌。
アコウダイの粕漬、焼き海苔、白菜のおしんこ、に、とろろ昆布のスープ。野村先生とイタリアを旅した時、洋食に飽きたので、持参した、とろろ昆布に顆粒のカツオだし、鰹節を入れて、醤油で味をつけてから、熱湯を注いでスープにした。これを先生に作ったら、いたく喜んでもらった。考えてみると、野村先生と海外に行くと、大体中華料理か、日本食ばかりだった。それでもシチリア島に行った時は、地元の料理が口にあったのか、毎日、イタメシばかりだった。海外に行く時は、インスタントの味噌汁やスープを持って行くと重宝する。もちろんアジアは別だ。
先人の書を眺めるのが好きだ。中には達筆すぎて、全く何が書いてあるのかさっぱり分からないものもあるが、それはそれで楽しい。辞書を引いたり、漢詩の本や中国の故事来歴などの本を見ながら書いてある意味を調べると言うのも、勉強になる。頭山満先生の書は、論語や「十八史略」などから引用した物が多い。大東亜戦争の時代には、「忠孝」や「赤心報国」「忠孝国乃大本」「忠君愛国」といった時代を反映した物が多いように思う。これは揮毫をお願いする側が、その時代に適したものをお願いしたのではないかと思っている。
我が家に頭山満先生の「行義以達其道」(義を行い以って、其の道に達す)という書がある。これは、論語 季氏第十六からの一節である。
孔子曰く、善を見ては及ばざるが如とくし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾其の人を見る。吾れ其の語を聞く。隠居して以って其の志を求め、義を行ないて以って其の道を達す。吾其の語を聞く。未だ其その人を見ざるなり。
現代語訳は、「先師がいわれた。善を見ては、取りにがすのを恐れるようにそれを追求し、悪を見ては、熱湯に手を入れるのを恐れるようにそれを避ける。そういう言葉を私はきいたことがあるし、また現にそういう人物を見たこともある。しかし、世に用いられないでも初一念を貫き、正義の実現に精進して、道の徹底を期する、というようなことは、言葉ではきいたことがあるが、まだ実際にそういう人を見たことがない」。
分からないものも、何点かあるので、今度、森田忠明さんにお会いした時に教えて頂こうと思っている。夜は、藤棚の「一休」のオヤジに教えて頂いた松原商店街の魚屋でカツオを仕入れ、酔狂亭で月下独酌。