白雲去来

蜷川正大の日々是口実

四面楚歌か。

2016-11-15 01:12:36 | 日記
十一月十二日(土)晴れ。

昨日とは、うって変わったぽかぽか陽気。ウォーキングに出ようかと思ったが、仕事が溜まっているので、夕方まで、気合を入れて仕事をした。

韓国の朴大統領の、若い人の支持率が、〇パーセントになったと、新聞にあった。良し悪しは別として、韓国の国民の喜怒哀楽の表現は、日本人と違うと、いつも思う。最近の朴大統領を見ていると、頭に浮かぶのが、中国の故事である。

中国の歴史家、司馬遷の『史記』には、紀元前二百二年、漢楚の戦において漢の劉邦においつめられた楚の項羽が、垓下の城壁にたてこもるが、四面楚歌を聞き驚くことが書かれている。「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。闇夜に歌声が聞こえる。項羽の故郷・楚の国の歌が、東西南北あらゆる方向から聞こえた項羽は、絶望する。「漢は已に楚を全部降してしまったのだろうか。敵軍の中に何と楚の国の人が多いことか」と嘆く。この故事から「周囲がみな敵で、孤立無縁なようす」を「四面楚歌」と言うようになった。朴槿恵大統領が、友人の女性実業家、崔順実が職権の乱用などで逮捕されたことをきっかけに、正に、四面楚歌の状態に陥っている。

項羽は、絶体絶命のピンチの際に、愛人である虞美人を前に「力は山を抜き 気は世を蓋う 時利あらずして騅(項羽の馬)逝かず 騅逝かざるを如何せん 虞や虞や若を如何せん」と有名な「垓下の歌」を贈った。虞美人は自害して、その場所に咲いた赤い花が、虞美人草と名付けられたと言う伝説がある。朴大統領も結婚していたならば、怪しげな女に惑わされることはなかったかもしれない。

夜は、昨日に続いて本牧のゴールデンカップへ。ヒゲジイことサリーパパのお付き合いで、キャロルのコピーバンドを聞きに行った。リーゼント、皮ジャンスタイルの人たちが多く、付いて行けないなぁー、と思ったが、そこはご愛嬌。途中で抜け出して、サリーの店に転戦。何と、元ゴールデンカップスのエディ潘が飲んでいた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ああ ときおり雨の降る馬車道あたりで 、飲んだ。

2016-11-15 00:49:34 | 日記
十一月十一日(金)雨後曇り。

お世話になっている方や仲良しさんたちとの飲み会。場所は、以前、群青忌の前夜祭を行った馬車道の「佐島」。馬車道と書くと、中村雅俊の「恋人も濡れる街角」の歌詞、「ああ ときおり雨の降る馬車道あたりで 待っている」の歌が浮かんでくる。その昔、馬車道には、東宝会館と言う映画館があった。北原ミレイの「海岸物語」という歌には、「覚えてる懐かしい潮風吹くあの街。腕を組み歩いた桟橋。馬車道のシネマでは、いつも寄り添って、眠らずに夜明けまで過ごしたわ」。喫茶店の「ウイーン」もなくなり、随分と様変わりしてしまったが、馬車道辺りには、五本指くらいの思い出がある。

「佐島」から、総勢十人で「一の酉」に出かけた。天気も悪いせいもあってか、さほど混雑はしていなかったが、夜店を冷かしたり、お祭りの雑踏を歩くのが好きだ。それから関内に転戦して、仕上げは、本牧の「ゴールデンカップ」。家に戻ったのは、三時を過ぎていた。こんな時間に帰るのは、何年振りか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする