十一月十六日(水)曇り。
寒い朝だった。そう言えば、吉永小百合の歌に「寒い朝」とうものがあって、中学生の頃に、牛乳配達をしていた冬に、良くその歌を口ずさみながら、自転車のペダルをこいでいた。いまでもその歌を聞くと、牛乳配達をしていた中学生時代が甦って来る。
私が子供の頃は、子供が働くなんて普通だった。私は、小学生の六年生の頃は、新聞配達。たすき掛けの中に新聞を入れて、走って配ったものだ。まだ新聞が新しいと、四つ折りにして指を走らすと、ビッと音がした。これが出来ると一人前とみなされた。中学の時は、牛乳配達。一度、「新聞少年の日」ならぬ「牛乳配達の日」みたいなものがあって、その集会に参加したら、どこかのエライさんが、「牛乳は飲んでいる人よりも、配っている君たちの方が健康だ」と言って、子供心に妙に感心したことを覚えている。
高校生の頃は、バッティング・センターでの玉入れや、和菓子屋さんで暮の餅づくり。港の船の中での労働(これが一番日給が良かった)。横浜公園の前にあった「ボア」や伊勢佐木町の吉田橋側の「マイアミ」などで喫茶店のウェイター。確か時給が百円だった。夜中に、沖仲仕のバイトに行って、学校で寝ていることなど、しょっちゅうだった。高校の同級生で、今、金沢で(横浜の)神輿会の会長として頑張っている木川勲氏なども、良く夜中の沖仲仕のバイトに一緒に行った。仕事が終わると、朝方に、野毛温泉と言う銭湯に入ってから、揃って学校に行き、二人して机で寝ていた。
大人になってからは、ほとんどアルバイトはしていないが、考えたら、原稿を書くのもアルバイトのようなものだ。と言っても手を抜いている訳ではありません。
大行社の役員会議に出席。所用あって食事会には、参加せずに、帰宅。三島由紀夫研究会の玉川博己先生からご恵送頂いた、『三島由紀夫が愛した美女たち』(岡山典弘著・啓文社書房・千八百円+税)を読む。
寒い朝だった。そう言えば、吉永小百合の歌に「寒い朝」とうものがあって、中学生の頃に、牛乳配達をしていた冬に、良くその歌を口ずさみながら、自転車のペダルをこいでいた。いまでもその歌を聞くと、牛乳配達をしていた中学生時代が甦って来る。
私が子供の頃は、子供が働くなんて普通だった。私は、小学生の六年生の頃は、新聞配達。たすき掛けの中に新聞を入れて、走って配ったものだ。まだ新聞が新しいと、四つ折りにして指を走らすと、ビッと音がした。これが出来ると一人前とみなされた。中学の時は、牛乳配達。一度、「新聞少年の日」ならぬ「牛乳配達の日」みたいなものがあって、その集会に参加したら、どこかのエライさんが、「牛乳は飲んでいる人よりも、配っている君たちの方が健康だ」と言って、子供心に妙に感心したことを覚えている。
高校生の頃は、バッティング・センターでの玉入れや、和菓子屋さんで暮の餅づくり。港の船の中での労働(これが一番日給が良かった)。横浜公園の前にあった「ボア」や伊勢佐木町の吉田橋側の「マイアミ」などで喫茶店のウェイター。確か時給が百円だった。夜中に、沖仲仕のバイトに行って、学校で寝ていることなど、しょっちゅうだった。高校の同級生で、今、金沢で(横浜の)神輿会の会長として頑張っている木川勲氏なども、良く夜中の沖仲仕のバイトに一緒に行った。仕事が終わると、朝方に、野毛温泉と言う銭湯に入ってから、揃って学校に行き、二人して机で寝ていた。
大人になってからは、ほとんどアルバイトはしていないが、考えたら、原稿を書くのもアルバイトのようなものだ。と言っても手を抜いている訳ではありません。
大行社の役員会議に出席。所用あって食事会には、参加せずに、帰宅。三島由紀夫研究会の玉川博己先生からご恵送頂いた、『三島由紀夫が愛した美女たち』(岡山典弘著・啓文社書房・千八百円+税)を読む。