白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野分祭。

2016-11-25 10:31:32 | 日記
十一月二十四日(木)雪。野分祭。

朝起きたら、この時期に雪である。のどが痛く、ちょっと熱もあって絶不調。雪を風流と見立てる余裕がない。夜に、お世話になっている方から「ふぐ」に誘われていたので、無理してでもと思ったが、体調と天候を考えて、後ろ髪を引かれつつ、断りの電話を入れた。

今日は、昭和四十五年十一月二十五日に、当時の自衛隊東部方面総監室において、「憲法改正」などを訴えて自決された、三島由紀夫、森田必勝両烈士の決起前夜の思いを共有するとして、元楯の会の伊藤好雄氏や、初期一水会の人たちが、中心となって慰霊祭を開催してきた。一時期、私も発起人として名を連ねたこともあった。野分祭は、伊藤好雄氏らが一水会が主体となった慰霊祭から独立。一水会は、両烈士の顕彰祭を行っている。私は、考えることがあって、最近は、両方の慰霊祭とは距離を置いている。

野分祭とは、二十五歳と言う若さで、自決された森田必勝烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から命名されている。野分祭の日に雪か・・・。感慨深い。私は、両烈士の自決事件に影響を受けて、この運動に入った。もし、あの事件が無かったら、きっと違った人生を歩んでいたに違いあるまい。十九歳だった私が、天皇、国家、政治といったことを真剣に考えるきっかけとなった出来事である。

とおに両烈士の歳を越え、恩師の晩年の歳も越え、生きて行くことは、私にとって恥を重ねて行くだけと言う自嘲に苛まれる日が、年に幾度かある。

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酔へばあさましく酔はねばさびしく

2016-11-25 10:05:08 | 日記
十一月二十三日(水)曇り。新嘗祭。

今日は新嘗祭。収穫祭にあたるもので、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる宮中祭祀の中では、大切な祭りでもある。

今日も、喉が痛い。子供のころから喉が弱く、いつも風邪は喉から始まる。これまでもポリープの手術や、扁桃腺の治療などを経験した。家でじっとしていようかとも思ったが、午後から、お世話になっている方たちとの、お酉さまへのお参りや食事会がある。鎌田にて行われる「新嘗祭感謝の集い」には、松本佳展君に行って貰った。

今年は、二の酉までということと、祭日が重なり、大鳳神社の周りは随分と人出が多かった。この辺りは、その昔は遊郭があった所で、十年前ぐらいまでは、その面影を残す建物が何軒か残っていたが、今では、そんな風情を残す家はすっかり姿を消した。昭和は遠くになりにけり、か。

体調がよくないのに、ちょっと酒が入ると、元気になったと錯覚し、ダラダラと飲んでしまう。最近は、酔っている時に、誰かと、何かを約束しても、翌日、全く記憶にない。だから酔っている時に約束をしないようにしている。酒ゆえの脳軟化症の第一歩であると思う。今日も、三軒転戦してから帰宅。酔へばあさましく酔はねばさびしく。とは山頭火の句である。嗚呼!

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