十一月二十四日(木)雪。野分祭。
朝起きたら、この時期に雪である。のどが痛く、ちょっと熱もあって絶不調。雪を風流と見立てる余裕がない。夜に、お世話になっている方から「ふぐ」に誘われていたので、無理してでもと思ったが、体調と天候を考えて、後ろ髪を引かれつつ、断りの電話を入れた。
今日は、昭和四十五年十一月二十五日に、当時の自衛隊東部方面総監室において、「憲法改正」などを訴えて自決された、三島由紀夫、森田必勝両烈士の決起前夜の思いを共有するとして、元楯の会の伊藤好雄氏や、初期一水会の人たちが、中心となって慰霊祭を開催してきた。一時期、私も発起人として名を連ねたこともあった。野分祭は、伊藤好雄氏らが一水会が主体となった慰霊祭から独立。一水会は、両烈士の顕彰祭を行っている。私は、考えることがあって、最近は、両方の慰霊祭とは距離を置いている。
野分祭とは、二十五歳と言う若さで、自決された森田必勝烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から命名されている。野分祭の日に雪か・・・。感慨深い。私は、両烈士の自決事件に影響を受けて、この運動に入った。もし、あの事件が無かったら、きっと違った人生を歩んでいたに違いあるまい。十九歳だった私が、天皇、国家、政治といったことを真剣に考えるきっかけとなった出来事である。
とおに両烈士の歳を越え、恩師の晩年の歳も越え、生きて行くことは、私にとって恥を重ねて行くだけと言う自嘲に苛まれる日が、年に幾度かある。
朝起きたら、この時期に雪である。のどが痛く、ちょっと熱もあって絶不調。雪を風流と見立てる余裕がない。夜に、お世話になっている方から「ふぐ」に誘われていたので、無理してでもと思ったが、体調と天候を考えて、後ろ髪を引かれつつ、断りの電話を入れた。
今日は、昭和四十五年十一月二十五日に、当時の自衛隊東部方面総監室において、「憲法改正」などを訴えて自決された、三島由紀夫、森田必勝両烈士の決起前夜の思いを共有するとして、元楯の会の伊藤好雄氏や、初期一水会の人たちが、中心となって慰霊祭を開催してきた。一時期、私も発起人として名を連ねたこともあった。野分祭は、伊藤好雄氏らが一水会が主体となった慰霊祭から独立。一水会は、両烈士の顕彰祭を行っている。私は、考えることがあって、最近は、両方の慰霊祭とは距離を置いている。
野分祭とは、二十五歳と言う若さで、自決された森田必勝烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から命名されている。野分祭の日に雪か・・・。感慨深い。私は、両烈士の自決事件に影響を受けて、この運動に入った。もし、あの事件が無かったら、きっと違った人生を歩んでいたに違いあるまい。十九歳だった私が、天皇、国家、政治といったことを真剣に考えるきっかけとなった出来事である。
とおに両烈士の歳を越え、恩師の晩年の歳も越え、生きて行くことは、私にとって恥を重ねて行くだけと言う自嘲に苛まれる日が、年に幾度かある。