白雲去来

蜷川正大の日々是口実

浅き夢見し頃。

2016-11-29 11:37:04 | 日記
十一月二十七日(日)雨後曇り。

今月、三度目の忘年会で、世田谷行。横浜から、東横線で自由が丘に行き、そこから乗り換えて二子玉川下車。その昔、本当に昔の話で高校生の頃、環八沿いにある「タマリバー」というドライブインでアルバイトをしていた。自由が丘から、記憶が間違っていなければ、当時は田園都市線と言っていた電車に乗り換えて、上野毛で降りた。そこから玉美大の前を通ったその先に、バイト先のお店があった。下町では、スナック、都会ではドライブインが流行で、雨後の筍のように新しい店が出来ていた時代だ。

バイトが終わって、時間がある時は、自由が丘で、「ファイブスポット」というジャズの専門店に、少し背伸びをして入った。地下のお店で、壁には、モザイクでジャズマンの絵がかいてあったと記憶している。そのお店の近くの古書店で『林芙美子全集』を見つけ、店主に、「必ず買いますから」とお願いして、給料日まで取っておいて貰ったことがある。書棚にあるその本を見ると、その時のことを思い出す。

東京の芸術座に、有馬稲子と森雅之が主演した、林芙美子の「浮雲」を見に行ったのも、同じ頃だったと思う。陸上競技をやめて日々に目的を失い、なにか、別な新しいものを求めていたのかもしれない。

九品仏を過ぎて、上野毛。一瞬、降りてみようかと言う衝動に駆られたが、外は、暗いし、小雨に煙っている。上野毛を過ぎたら、そんな感傷は一瞬にして消え去った。ふと「朝き夢見し頃」というテレビドラマのタイトルが浮かんだ。

二子玉川。高島屋のイルミネーションが、一足早いクリスマスモードとなっている。そんな日が、楽しいなどと思わなくなってから久しい。忘年会の会場に付けば、何時もの私に戻る。諸先輩や同志の方々にご挨拶をして、三十分もすれば、ただの酔いどれオヤジと化している。いつものことだ。帰りは、仲程会長や大塚総裁に送って頂き恐縮する。

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DVDへの印刷機は、高いなぁー。

2016-11-29 10:24:09 | 日記
十一月二十六日(土)晴れ。

午前中に、自宅近くの耳鼻咽喉科へ行った。先生曰く「久しぶりですね」。考えたら、病院などには「久しぶり」が一番である。喉に薬をぬって貰い、薬を三種類貰って終了。体調が悪くても、食欲だけは衰えないのが情けない。

朝食を取るタイミングを逸したので、昼食を兼ねたメニューは、白菜ときくらげのうま煮。この時期の白菜は美味しい。しかし、まだ値段が下がらない。四分の一カットで百九十円。一個だったら、七百六十円。その値段をつけて売ったなら、ほとんどの人が買わないだろうから、四分の一にして売っている。それでも考えたなら、酒を飲むときは、五千円や、一万円ぐらい躊躇せずに払う癖に、白菜が、七百円が高いと思う私は、セコイのかもしれない。

私の発行している『燃えよ祖国』に、「ある行為者の回想」というものを掲載している。最新号(二二六号)では、前篇を、現在制作中の、二二七号には、後篇を掲載するのだが、実は、その「ある行為者の回想」は、平成十三年に行った野村先生の追悼祭、第八回「群青忌」にて、根本順善監督に監修をしていただき、映像化したものを放映した。そのDVDを付録につけるつもりでいる。ダビングするだけでも大変なのだが、もっと困っているのが、DVDへのプリントである。自宅にあるプリンターでは、当然ながら一枚しか印刷できない。時間がかかって仕方がない。そこで、何枚かまとめて印刷できる物はないかと、探してみたら、エプソンから、ディスクデュプリケーターというものが発売されていた。しかし、値段を見てぶっ飛んだ、五十枚の連続印刷が可能な物が十九万円。百枚の物が、何と三十万円もする。まあ、百枚の物は贅沢として、五十枚の印刷機ぐらいはそのうちに何とかしようかと思っているが、十九万円はネェー。

仕方がないので、今回は、DVDには何も印刷をせずに、布のケースにタイトルのみを印刷した紙を貼って送ろうかと思っている。色気がないが、仕方がない。まあ内容は変わりませんので、ご勘弁の程を。※本来は、写真のようにしたかったのですが・・・。

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茫然と轟然と 秋の夕日堕つ

2016-11-29 09:52:58 | 日記
十一月二十五日(金)晴れ。憂国忌

今日も、風邪気味で調子悪し。熱はないのだが、喉が痛くて咳が出る。暮に向かって忙しくなるので、これ以上具合が悪くなってはと思い、一日安静にしていた。

今日は、憂国忌である。昭和四十五年の今日のことは、今でも鮮明に覚えている。この事件がきっかけで民族派運動に入った。言い換えるのならば、三島、森田両烈士の義挙以後は、そのまま私の運動史と言える。個人的には、私の人生のターニングポイントとなった事件でもある。

野村先生の獄中日記『銀河蒼茫』の「秋の句」の中に、三島由紀夫、森田必勝自決、一句と題して、「茫然と轟然と 秋の夕日堕つ」がある。野村先生が師と慕った三上卓先生の命日は、三島・森田両烈士の自決の一月前の十月二十五日。『銀河蒼茫』には、「三上先生死去の報に接す、五句」として、
 不覚なる涙が菊に散りにけり
 白菊の白が溢れて とどまらぬ
 傷痕の深き山河の露しぐれ
 白露の玉が砕ける頬に手に
 轟然と秋の落日宙にあり

野村先生の本葬儀が青山斎場にて行われた時、斎場の入口に、「白菊の白が溢れて とどまらぬ」の句を掲げさせて頂いた。野村先生の句の中では、秋に詠んだものが好きだ。

久しぶりに、酒を抜いた。あーあ酒が飲めぬ風邪が恨めしい。

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