白雲去来

蜷川正大の日々是口実

広辞苑のこと。

2018-12-14 19:25:46 | 日記
十二月十三日(木)曇り後晴れ。

朝は、上の子供と二人飯。ナスとひき肉のオイスター油いため、ロースハム、もやしの味噌汁。昼は、トースト一枚にサマーオレンジジャム。夜は、子供たちがそれぞれバイトに行ったので愚妻と、シャブシャブ、マグロの刺し身。お供は、黒霧島。

私の好きな作家に宮尾登美子さんがいる。日本語の使い方がとても美しい方だ。宮尾さんは、「事情あって」家財道具をすべて売り払い土佐から上京した。蔵書のいっさいを手放しても、『広辞苑』だけは手放さなかったと言う。朝日新聞の昭和五十八年一月七日の「私の一冊」と言うコラムに、「上京後のドン底生活のなかで、本を買う金さえなかった私が、どれだけ『広辞苑』によって助けられ、慰められたことだっただろうか。読みはじめるとおもしろくなってやめられず、そのうち、この本から得た知識が自分の頭のなかで散逸してしまう悔しさに気が付いてノートをとりはじめたが、これがこんにちの私の小説ことばの原型になってしまったのである」。と書いている。

『広辞苑』は、三冊ほど持っている。一冊は、その昔、四宮正貴先生から差し入れして頂いたものだ。かなり使い込んで、よれよれになっているが、とても捨てることが出来ない。今は、『広辞苑』の電子辞書を愛用している。しかしながら、単に分からない文字や言葉を見つけるだけで、「辞書を引く」という刺激がない。そう言えば『現代用語の基礎知識』と言うものもあった。書棚は、辞書関係が何冊かあると、随分と場所をとったが、今では段ボールのなかで冬眠して貰っている。

山平さんの新刊を買おうかと思って書店に言ったら、なくて、宮崎学さん編の『悲憤ー中野太郎』(講談社刊)が目について購入した。スタバで少し読んだら止まらなくなって、結局、一時間ほどで読了した。テロリスト、いやヒットマンと呼ばれた人たちの末路に、ただため息が出た。秦の始皇帝を討とうとした荊軻の「風蕭蕭として易水寒し、壮士一度去って復還らじ」が幾度もリフレーンした。

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