白雲去来

蜷川正大の日々是口実

断食二日目。

2018-12-05 11:49:10 | 日記
十二月一日(土)晴れ。

伊豆の下田に、「いず松陰」という店がある。とても美味しい店で、下田に行くと必ず行くことにしている。そのお店の玄関に、山頭火の句碑があり、「伊豆はあたたかく野宿によろし波音も」と刻まれている。本当に、伊豆は横浜などに比べると、暖かいイメージがあるが、ここ伊豆高原は、とても寒い。夜は暖房を入れなければ寝ていられないほどの寒さである。

断食二日目の朝。六時半に起床して、七時より朝の体操。来る度にこの体操をするので、体が覚えている。終了後に、様々な施術をして貰い、十時に朝食。「リンゴと生姜のスムージー」をカップ一杯のみ。食後に、盟友に誘われて一時間半ほどウォーキングに出る。久しぶりに歩くので、かなり疲れた。

午後から、持って来た『開高健全ノンフィクション』の第一巻『河は眠らない』を読む。歳のせいか、字が小さくて読みづらい。CMで有名な、何とかルーペでも買おうかと思った。夕方に、車で、「ツタヤ」に行きDVDを借りる。こんな時は五枚で千円は安い。

夜七時に夕食。メニューは、「カボチャのすり流しスープ」カップ一杯。食後に、借りてきた映画を見る。「孤狼の血」と「アメリカン・アサシン」の二本。どちらもB級映画で、映画館で見なくて良かったと思った。

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断食へ。

2018-12-05 08:46:07 | 日記
十一月三十日(金)晴れ。断食へ。

今日から、伊豆高原の「やすらぎの里」という所で三泊四日の断食に行く。味覚をリセットしたり、三日間、酒を抜き、健康な体に戻すのが目的である。確か、初めて断食に連れて行って頂いたのは、十二年前の平成十八年のことだった。体重が三桁に届きそうになり、座敷に座ったら、ぷつんとズボンのベルトが切れた。血圧などの数値も、ヤバイくらいに上がっており、見かねた盟友が、「先輩、一緒に断食に行きましょう」と誘ってくれた。

一週間の断食で、七キロも体重が落ちた。辛かったが、達成感があった。それから幾度かリバウンドを繰り返し、最近では、三泊四日でも、体重やその他の数値が、まあまあの状態で維持できている。いつも断食に誘ってくれる盟友は、正に命の恩人ともいえる。

熱海の駅で、新幹線で来る友を待つ。駐車場に入れようとしたら、係りの人が「横浜ナンバーが見えましたので、駐車場に来るだろうと思いまして、一番を開けておきました」。そんなこともないだろうが、こういった挨拶や言葉は、和まされる。車を止めて、有難うと言ったら笑顔で答えてくれた。この人に「駐車場笑顔大賞」を上げようかと思った。

熱海から伊豆高原まで焼く二時間弱。海岸沿いを走るこの道が好きだ。六時前に着。夕食は、具なしの味噌汁のみ。伊豆でも「高原」とつくだけに寒くて、部屋の暖房を入れっぱなしで寝た。

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生者必滅か。

2018-12-05 07:13:21 | 日記
十一月二十九日(木)晴れ。

珍しく食欲が無く、朝食は塩おにぎりとインスタントの味噌汁。昼は、「カップラーメン」。夜は、鶏鍋を家族で囲んだ。久しぶりに、冷凍のカツオのタタキを玉ねぎのみじん切りとネギを加えてオリーブオイル、ニンニク、醤油で味付けして食す。

かつて横浜本部を置き、戦前からの伝統的な右翼の指導者に、天照義団団長の山下幸弘先生がいた。もちろん野村先生も民族派運動に入った頃からの知り合いだった。昭和の五十年の前半頃、今は皆故人となられたが、新勢力社の毛呂清輝先生や阿部勉さんたちとご自宅に伺ったこともあった。私立の女子高校のPTAの会長を務めたり、地元の名士として知られていた。手元に資料がないので没年は確かではないが、葬儀の手伝いの際に、大東塾の影山先生をご案内したことを覚えている。

今日の、新聞の死亡欄に、その山下先生のご子息で、もと産経新聞の常務、日本工業新聞の社長を務めた山下幸秀氏の訃報が掲載されていた。連日の知人の死亡記事に、何かやるせない気持ちになった。亡くなられた山下氏は、私が主宰していた勉強会の講師を務めて頂いたり、若い頃は、何かとお世話になった。享年八十一歳とのこと。合掌。

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訃報が続く。

2018-12-05 07:06:52 | 日記
十一月二十八日(水)晴れ。

今日の『産経』に元楯の会の小川正洋さんの死亡記事が掲載されていて、驚いた。面識はなかったが、三島先生と共に決起した人だ。今月は多少なりとも面識のあった人や、古いお付き合いの人の訃報が続いている。

野村秋介思想研究会の藤巻強氏の実兄の藤巻広氏が二十五日に亡くなり、今日通夜が行われ出席した。先月の群青忌ではお元気な様子だったのに残念である。また、宴席で二度ほど同席しただけの方だったが、コラムニストの勝谷誠彦氏の訃報をネットで知った。さらにカメラマンの「不肖・宮嶋」さんから手紙が来て、野村先生の写真集のデザインをして頂いたA氏が亡くなられたことを知った。祭壇には、その写真集が飾られている写真が同封されていた。A氏は、かつて『週刊文春』のデザインを手がけた方だ。宮嶋さんの手紙には、「また一人、野村さんと関わり合いのある人が亡くなった」とあった。合掌。

通夜式からの帰り、野村先生のご子息夫妻と「やまと」にて一献。

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