白雲去来

蜷川正大の日々是口実

平穏な日曜日。恙なし。

2021-03-03 15:04:03 | 日記

2月28日(日)晴れ。

枕もとの時計を見たら何と11時を過ぎていた。家族は誰も起きている気配がない。健康茶のタピポを飲んで新聞を読んでいたら、のそのそと皆が起きてきた。朝食はズルをして、ほか弁に衆議が一致。私は、好きな「特のりタル弁」、皆はそれぞれ。買ってくる間に部屋に掃除機をかけて洗濯機を回しておくこととゲンメイして一走り。車中に流れる、大好きな伊東ゆかりの歌が耳に心地よい。

食事をしていたらアマゾンで頼んでおいた『江戸・東京石碑を歩くー名文・名筆を訪ねる愉しみ』(川浪惇史著・心交社刊)が届いた。産経新聞の横浜版のコラム「書のある散歩道~かながわ~」の著者の本である。昭和22年(1947)東京生まれ。京都の出版社勤務を経て独立。現在、季刊「書21」主幹。主に書道関係の書籍、雑誌などの取材・執筆に携わる。と本の末尾に著者のプロフィールがあった。街を歩いていて様々な石碑を目にしてもほとんど気にも留めないで通り過ぎてしまう。それは、その石碑に刻まれている碑文が読めないことも多分に影響している。経年により読みづらいことに加えて、ほとんどが漢文である。漢文の素養のない私には当然ながらちんぷんかんぷん、グリコの看板「お手上げ」である。

ガイドブックのようなものがあれば、と思っていた時に目にしたのが川浪氏の産経のコラムである。特に神奈川県にある石碑を取り上げているのがありがたい。以前も伊勢山皇大神宮の近くに行く用事があったので、川浪氏の伊勢山にある石碑の解説を書いた記事をコピーして持って行った。とても勉強になり有難かった。いい本との出会いは、いい人、いい酒との出会いに似ている。

夜は、ブリのから揚げ、新ワカメの炒め物、大根と人参のシリシリサラダ。お供は、思い切って「魔王」の封を切った。ロックで二杯飲んでから、「黒霧島」に変えた。平穏な日曜日、恙なし。

 


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連載の原稿を入稿。

2021-03-03 14:14:04 | 日記

2月27日(土)晴れ。

すっきりと起きた。ベパリーゼに感謝か。朝食は、白菜ときくらげのうま煮、筋子、とろろこぶのスープ。昼は、ドーナツ一個にコオヒイ。夜は、「そごう」の刺身の盛り合わせ、アスパラのオイスターソース炒め。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて月下独酌。

午後、連載させて頂いている『大吼』の春号の原稿を入稿。丸川理事長より誤字の指摘あり、恐縮する。連載も今回で26回。題は「横浜と野村秋介」。野村先生のご尊父のお墓は、京急、黄金町駅からすぐ近くにある、通称「赤門の寺」、東福寺にある。その寺が七百年もの伝統があり、文明年間に太田道灌によって中興されたといわれる古刹であることや、更に、ヨコハマにおける一代の女傑富貴楼お倉(斎藤くら)や長谷川伸一家の墓所などがあり、「地獄極楽の大幅」で有名である事を、大佛次郎や獅子文六、吉川英治といったヨコハマ生れの作家の小説や随筆で知った。

私が子供の頃に過ごしたのは、その赤門の寺のすぐ近く。トンボ取りやかくれんぼをして遊んだ、「赤門」と呼んでいたお寺が「東福寺」という名前である事を知ったのは、迂闊にも三十の半ばを過ぎた頃であった。鞍馬天狗のマネをしてチャンバラごっこに興じていた子供の頃、まさかその作者である大佛次郎が赤門の近くの生まれである事など知る由もなかった。

夏になると、ほとんど毎日のように野毛山にある市民プールに通ったが、そのプールに行くには赤門の前を左折して、大きな池のある通称「キンショウカン」と呼んでいた戦災で焼けて更地になっていた広場の横を通り、旅館や料亭の多い細い坂道を行き、「百段」と呼んでいた急な階段を上がって行くのが一番近道だった。その付近の風景が大佛次郎の随筆『オルゴール』や獅子文六の自伝小説である『父の乳』などの中に描かれている。と、このようなことを書いて入稿した。

 


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