3月3日(水)晴れ。
6時起床。寒い朝。慌てて暖房を入れる。朝食は、マルシンクのハンバーグ、ウインナー、目玉焼きに小カップ麺。私以外、家族は誰も見向きもしないメニューである。昼は、ドーナツ一個にコオヒイ。夜は、豚肉の鍋、サバ文化干し。お供は「魔王」のロック二杯に、「黒霧島」のソーダー割り。酔狂亭にて独酌。
昭和52年(1977)の今日、野村先生らが「財界の営利至上主義を撃つ」として経団連会館を襲撃選挙したいわゆる「経団連事件」から44年目の日である。戦後の右翼がともすれば体制擁護とみられていた中で、右翼本来の姿である反体制色を明確に打ち出した事件として、竹中労と言った左翼の言論人からも評価された。
先生は、「河野邸焼き討ち事件」にて昭和50年に12年の刑を終えて戦線復帰。その2年後に「経団連事件」に決起し再び囹圄の身となる。戦線復帰から経団連事件までの経緯は『友よ山河を亡ぼすなかれ』(絶版)の中の「経団連事件・決起までの真相=迎撃の思想と出撃の論理=」と、『獄中18年』(二十一世紀書院)の「回想の706日」に詳しい。昭和52年3月3日は、私の民族派運動の原点でもある。※写真は昭和52年夏、花園神社にて開催した経団連事件の支援集会。連帯の挨拶をする国防青年隊、故渡邊康司氏。