12月22日(日)晴れのち曇り。
朝トイレに行く時に、ついでにリビングの暖房をつける。そして再び布団に入って後10分、後10分とだらだらして、暖房が効いて来たころにリビングで着替えを済ませる。こんな寒い時に朝から会社に行ったり、働いている人たちに、すまん、すまん、オスマンサンコン。と心で詫びて、もう何年も盟友から贈って頂いている「タピポ茶」を飲みながら新聞に目を通す。このお茶のお陰で、恙なく暮らしている。
取っているのは『産経新聞』のみ。楽しみにしているのは「朝晴れエッセー」と元巨人軍の張本勲さんの「話の肖像画」。家にお風呂がなかった小学生の低学年の頃。銭湯に行くと競って下足番の「3番」に入れた。もちろん長嶋茂雄さんの背番号である。そこが埋まっていると、王選手の「1番」か川上哲治さんの「16番」。全部埋まっているとがっかりしたものだ。張本さんの「話の肖像画」を読んでいて、ふとそんなことを思い出した。
過日、横浜の「アメ横」と言われている松原商店街へ行った。八百屋でなるべく細いネギを探し、あれば買う。細くなければだめで、余り細いと売り物らならないのかめったに出会うことがない。2センチぐらいに切って、串にさし、塩コショウをして焼く。焼き鳥屋の「いかだ」である。なぜかこれが好きだ。後は「魚孝」でマグロ。見ても分からないので「3千円分」といって買う。当然当たりはずれもあるが、自分が分からないのだから仕方がない。この時期には、マグロの他にタラバガニ、ズワイガニがドカンと並べられている。なるべく目を合わせないようにして店を出る。飲み屋のお金は躊躇せずに払うのに、一肩1万4千円、5千円の値段を見ると、ためらってしまう自分がいて、忸怩たる思いにかられながら店を出る。
年末、商店街に買い物に行くと、幼い頃に母のお供をして、京急の南太田駅に近い、「ドンドン商店街」に行ったことを思い出す。今のように、大晦日や元旦からでも開いている大型スーパーやコンビになどない頃だから、地元の商店街が買い物の主流だった。おせち料理の素材、和菓子屋に頼んでおいたお餅、野菜類やみかんなど、両手に一杯持って家に帰った。母の役に立っているということが、チョッピリ嬉しく、歩いて二〇分ほどの道のりだったが、母の笑顔が、今でも浮かぶ。この日ばかりは、狭いアパートの中が、食料で溢れて、子供心にも、何か幸せな満ち足りた思いがしたものだ。今では、その商店街の面影もない。
夜は寒いので、寄せ鍋の〆に頂き物の「五島うどん」を入れて食べた。ふと熱燗が飲みたくなって、やはり頂き物の「栄川」を温めて時代物の「ぐい吞み」を使って飲んだ。亡くなられた阿部勉さんの顔が浮かんだ。