白雲去来

蜷川正大の日々是口実

クリスマスに、思い出はない。

2024-12-25 17:37:46 | 日記

12月24日(火)晴れ。

クリスマスイブか・・・。と言っても若い頃と違って何の感慨もない。5,6年前まで友好団体の忘年会が二子玉川駅の近くのレストラスで行われ参加していた。駅の周りには、この時期にはクリスマスのイルミネーションが煌びやかに灯り、道行く人たちが皆、幸せそうに思えたものだ。

高校生の頃に、二子玉川の手前の上野毛駅近くにあるドライブインでアルバイトをしていたことがあった。当時は、東横線で自由が丘まで行き、そこで乗り換えてから上野毛で下車。多摩美術大学の前を過ぎると「タマリバー」というドライブインがあった。自由が丘に早く着くと、駅前にあった古書店に行き暇をつぶしたり、お金がある時は駅の近くにあった「5スポット」というジャズ喫茶に入った。今ほどではないが、クリスマスの季節になると自由が丘駅周辺は、ジングルベルなどが流れていたりして、クリスマスの雰囲気を醸し出していたが、ガールフレンドどころか、金もない高校生の私には、クリスマスのなどを楽しむ余裕などなかった。

後年、玉川高島屋の道路を隔てた前にあった「菩提樹」というレストランが好きで通った。地下に続く壁には日本鋼管の溶鉱炉の煉瓦が使用されていたり、椅子が日本商工会議所の椅子だったりで凝った造りのお店だった。書画骨董がお店のインテリアとなっていて中国の思想家で日本に亡命した胡蘭成の書があったことを覚えている。エビフライが特大で感激したものだ。このお店もまだあるのだろうか。

20代の前半のクリスマスの夜に、「亡国憲法解体」というビラ貼りをしていて、パトカーに捕まったことがあった。まだ、ゆるい時代で、「こんな夜中にビラなんか貼っていないで、早く帰りなさい」と説教だけで許してもらった。糊の入ったバケツを持ちながらの帰り道、ちょっと切なかったが「俺の恋人誰かと思ふ。神の造りた日本国」という、三島先生と共に自決した森田必勝烈士の愛した歌をつぶやきながら、クリスマスの夜にトボトボと帰ったことを覚えている。※昭和49年頃に学純同の大場俊賢先生より共同で作って頂いたポスター。

 

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